誰かと話すことの大切さ、それと、学習性無力感

さっき末っ子の送りのときに

保育園の園長先生に

(と言っても保育園時代から息子どうしで遊んでいるので わたしの中で一番長続きしているママ友とも言う)

「子ども(中学生)が探しものばかりしている」

「片づけない」

という話を振られ、

「うちもですっっ!」

となった。

 

そして散々息子どものだらしなさについて語った後、

「実は自分も探してるんだけどね」

という事実を聞き、

「わたしもですっっ!」

(;´∀`) 

 

なんかすごくホッとした。

何の解決にもなってないけど。

 

「そんなもんなのね!あはは!」

って言えたときの、心の軽さ。

 

最近まさに、家の中が片付かないこと、探し物が多いことにストレスを感じていて。

しかもわたしは家で仕事をしたいので、

散らかされるとイヤ。

自分が散らかしたわけでもないのに。

掃除はそんなに苦じゃないけど、

掃除のためにモノを拾ったりよけたりはイヤ。

テーブルの上に何でもかんでも乗せてそのままなのもイヤ。

片づけりゃいいんですよ、わたしが。

そう思ってやってきたけど、

1日経ったら元通り。

あれだよ、学習性無力感ってやつになっちゃうよ。

学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感、獲得された無力感、学習性無気力がある。なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する。

(Wikipedia)

つまり、頑張っても報われなくて、もう無理何もしたくない、になるやつ。

子育てに限らず、なんだかこのご時世、こういうの多そうな気がしてきた。。。

対応に次ぐ対応、何とか頑張ろうとやっていてもうまくいかなくて、

せっかくやったことが無駄になったりもする、しかも納得いかない理由で。
感染症対応のためとか納得いってる人なら仕方ないかって思えるけど

そしてそういうストレスの影響ってすぐに出るとは限らなくて、

あとになってからジワっと効いてくるってやつ。

  

話を戻すと、

自信をもって言うのだが、掃除についてわたしは神経質ではない。

自称潔癖症の先輩に「そこも拭いて」と言われたときには「使ってないのに拭くんですか??」って返事しちゃった

でも、そんなわたしでも耐えかねる。

あんたたち、公園にだってゴミを足元に捨てないでしょう!

なんで床にティッシュやらお菓子の袋が落ちてんのよ!

なんで洗面所に制服の抜け殻が落ちてんのよ!

テーブルに小さいゴミ箱置いたのにゴミ捨てろよっ!

というのを毎日言ってる。

こういうのを馬の耳に念仏っていうのかね!って国語の勉強にもなる。

で、なんかもう本当に、具合が悪くなっきてた。

なんか最近がんばれない。

でもがんばらないと状況は悪化していく。

 

 

それが、お宅もそうなのかい、という話をするだけで、

何の解決にもなっていないのだが、

泣きそうなくらい軽くなった。

ほんと泣くかと思った。

 

問題として見るから問題になる、ってこと。

そういうことなんだろうな。

って前にもどこかで書いた。

そして、

『させられている』と思うか『自分で選んでしている』と思うか。

自分にできることは何か。

これもどこかに書いたことある。

自分がやればいいって思っていたけど、

文句言って片づける、以外の方法があるんじゃないか?

なんと、それは考えたことなかった!

そう考えると、学習性無力感って、

させられていることが納得いかない理由で実を結ばないんだから、

そりゃ病むわ。

自分でこうしようと思ったことが実を結ばなかったなら、

外部の(くだらない)影響があるにしろ、それに合わせて単に次の手を考えると思う。

無力感感じている場合ではない。

その方法がダメだったのに、ダメな方法を続けてダメだと嘆いている、、、!

(腰が痛いのに、腰痛になる使い方を続けて腰が痛いと嘆いているのと同じではないか)

つまりアホ

 

たしかに困りごとではあるけれど、

そのことばっかり考えていると、

必要以上に問題として作り上げてしまう。

そしてストレス増強させてる。

人のせいにするとちょっと楽な気がして誰かを責めたくなる。

でも結局誰かを責めるってストレス増強。

つまりア、、、

そのループって自分だけではなかなか抜け出せなくて、

外の世界に目をむけるきっかけが、

誰かと話す、

っていうことだったりするのね。

そんなに問題として見なくていいかもとか、

そんな捉え方もあるのねとか。

 

前は、

話しただけで何の解決にもならないのに、無駄じゃん

って思っていた。

でも、そんなことないなって、

母親になってから実感するようになった。

 

だからわたしは、

ボディワークといっしょに、

ちょっとお話する時間もとっています。

母のためのオンライン女子会も、

また企画しますね。

  

週末は、毎月のヨガセラ公認講座があって、

待ち遠しいです~。

だって、こういう状態のときって、カラダから変えたら絶対によくなるもん。

自分でもワークはできるけれど、

やっぱり、

仲間と、導いてくれる人と、っていうのは違う。

 

たまに落ち込んでもいい、

戻ってこられるなら。

と、思えるようになった。

いっつも、うーたんみたいに「げんきげんき~!」って言ってられないこともあるさ。

 

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