ヨガセラフェスで伝えきれなかった大切なこと

原因自分論の話をしたのですが、


それはそうだけど、じゃあ攻撃的な他者をどう許すのか

という話には辿り着けませんでした。


それが、あのワークの、もう一つの側面です。

(フェスでお話ししたのは、自分の快適と相手の快適、でした)


相手や自分の体の動きは、まだより良くなる余地がある。

例えば椅子に座ってから立ち上がるあの動きだって、
自分も相手も、まだまだよりラクがありそうです。


でも、
・今はその人のベストの状態がソレだった
・それしか方法を知らなかっただけ


体の動きに限らず、日常生活でも同じこと。


例えば、

人に合わせて我慢するという方法しか知らなかったとか、

殴るという方法しか辛さの扱い方を知らなかったとか。


そう自分のことを見られたなら、過去の自分を許せるし、


そう相手のことを見られたなら、

酷いことを言われたりされたりしたとしても、そうなんだねって思うだけです。


例えば暴力という相手の攻撃的な表現は、相手の問題なんです。


ええ、フェスでは、原因は自分って散々言いました。
混乱する方もいらっしゃるでしょう。


ここで言いたいのは、『感情や思考や行動は、それの持ち主が原因』ということです。

『その人の感情や思考や行動は、その人の管轄』とも言えます。

相手の感情や思考や行動は相手の管轄。

わたしの感情や思考や行動は、わたしの管轄。

相手が怒ったり悲しんだりすることによって自分がどう感じるか、は自分の管轄だけど、

相手が怒ろうが悲しもうがこっちの管轄ではないんですよ。

ややこしいですね。何度か読んでください。

この分離はラクに生きる上で大切なポイントです。

 

つまり、誰かに攻撃された場合、

こちらとしては、トゲを向けられたことは嫌かもしれないけれど、

相手の言動は受け取らなくていい。

あれ、ただの苦しみの表現ですから。

不機嫌な親も、上司も、クレーマーもね。


ボディワークのレッスンをしたことがある人なら、わかるかもしれません。

親だからとか、年齢を重ねたから、
というだけでは成熟しているとは限らないということ。

親も、クレーマーも、そうするしか仕方がなかったんです。

それがその人のベストだった。

はぁ?って思うけど、それはわたしの普通であり、相手の普通ではないだけ。


ただ、

相手の感情を受け取らない、は選択できるけれど、

肉体への暴力は受け取らないとか言っていられません。

やり返す(!)、抵抗する、家出する、警察に通報する、耐える、相談する、いろいろあります。

わたしは耐えるしか知らなかったけど。

今のわたしの頭脳が子どものわたしにあったなら(コナンかよ)…
信頼できる先生に相談したかな。

暴力は良くないけど、耐えるしか知らなかった自分にも不幸の原因はあります。

だって今なら他の方法を知ってるもん。

自分で変えられる余地はあった、でも、あのときは仕方がなかった。

そして、今知ってる以上にもいい方法が存在するのかもしれない、わたしが知らないだけで。

 

初めてボディワークレッスンを受けたとき。何もかも頼りない雰囲気ですね。さすがウツから抜け出せない人。


変わりたいと思う人なら変われます。


他の方法を知ればいいだけのこと。


知れば、選んで、行動することができます。

自分にできることが増えます。

 


でも、変わらない人のほうが、世の中、たぶん多いと思います。


だって、そもそも変われることを知らないから。

知ったとしても、できない言い訳するから。

習慣はラクですからね。
わたしはこの意味のラクはラクだと思っていませんけどね。

 


ボディワークでカラダが少しでも楽になるように、


自分には改善の余地がないと思っていた(あるとか無いとかさえ思っていなかった)ところに、

まだ改善の余地があることを知る。

自分も、相手も、より良い、がある。


今はこれがベストなんだから仕方ないという赦しと、

この先もっとよくなれるという希望。


それだけで、救われはしませんか。


わたしはボディワークでそのことを実感したのです。


光が差したように感じたのです(宗教か!)。


事実はどうにも変えられなくとも、自分の感情と思考と行動は、自分のものです。

自分で何とかできるところです。

 
ここ数年の激変激動の世界、これからも落ち着く気配はありません。

他人の一人さえ変えられないのに、

いやボディワークに運良く出会った自分の心身だってゆっくりとしか変わらないのに、

世界が変わるのを待つほどわたしは気長でもなければ長寿でもありません。

だからわたしは、自分は学び続け、変わりたいという仲間が一人でもいるのならレッスンをします。


変えられないものがある中でも、流されず自分で考えて、後悔しない選択をし続ける。

それが、自分にできる確かなこと。

 


そのためには


『自分はどう生きたいのか』


が道標になるのではないでしょうか。

 


あなたは、どう生きたいですか。


何のために、ヨガセラフェスに参加しましたか。


聞いた話を、どう活かしますか。


あ〜良かった〜、で終わっては、何も変わりません。
時間とお金を費やしてもったいない。

 


たとえば


今度腹立たしいことが起きたときに思い出してください。


相手は、今はそれがベストなんだと。

それしか知らないからそうするだけなんだ、わたしの管轄ではない、と。


そう思えなかったとしても、そういうことを言っていた人がいたなぁと思い出してください。


また、自分を責めてしまう日には、


今の自分にはそれしかやりようがなかった、ベストだったんだ、
でもこれからはもっとよくなる可能性がある。


そう思ってみてください。

あなたがそう思えないとしても、もしそこにわたしがいれば、あなたにそういう言葉をかけます。

どうぞ、あなたの脳内のバーチャルレイコに言わせてください。

「それしかやりようがなかったんだよ(ギブギブ!っていうくらいがんばったんだよ)」


…実生活に落としこんでこそ、です。

 


わたしも未熟なので、わたしのチッタ(心)がフラフラしていたら言ってやってください。

原因は自分だろう、ボディワークでもしたらいいよ、と。

テキストのコピーはできません。