その人なりのストーリー

超絶自由人の水瓶座だからか、

わたしは誰かから何かを強制されたり、決めつけられたりすることが

たぶん一般的な人よりかなり苦手だ。

それはもう、

嫌悪感、

と言ってもいい。

 

ある人から見れば、

わたしは未熟なんだろう。

間違っているんだろう。

アホでバカで何もわかっていないんだろう。

言い過ぎ?

でも、

「こうしなさい」

と言われても、なんだかモヤモヤするのである。

ヨガナンダにとってのユクテスワであれば、

わけがわからなくても言うことを聞くのだろう。

ヨガでいうグル、の言うことは絶対です。

わたしにはまだ師はいない。

この人の言うことなら、という師にはまだ出会っていない。

今世で出会えるのかもわからない。

出会いたいともそんなに思っていない。

 

でも、わたしは思うことがある。

誰かにとってしょーもない選択に見えたとしても、

それは必要な経験だから選んでいて、

体験すべきなんじゃないか。

未熟なら未熟なりに、

それ選ぶ?的な選択をして体験してみることが、

そして、

あーこれはやめときゃよかったわ、

とか、

違ったわ、

と自分で思うことが、

必要なんじゃないか。

やっぱりあのときあの人の言ってたことホントだったわ、

で、それならそれで、いいじゃない。

それが本当に『わかる』ということ。

 

そうしたら失敗するからやめなさい、と言われたことを100%守って育った子どもがいたとして
失敗という経験をしないで育った場合、どういう人なんでしょうね、人間的に。

魅力あるんでしょうか。生きていく力はあるんでしょうか。

 

 

だからそれについて外側からジャッジすることなんて、

余計なお世話だと思う。

 

そんなわけで、

外野から何か言われたとしたら

その人の発言の最後に

「という個人の感想です」

とこちら側で勝手につけて受け流せばいいと思う。

 

それは、

逆の立場になっても同じで、

特に我が子とか、パートナーとかに対しては

いわゆる口出しっていうやつをしたくなることがある。

けれど、

こっちから見たら「え?」と思うようなことをしても

こうしなさいとか、こうするべきとは言わないようにしている。

個人の感想なんでね。

どうしたらいいかなって、聞かれたら答えるけど。

こうしないの?って聞くことはある。

どうしてそうするの?って聞くこともある。

そういうことはあっても、

最後に選択するのは本人。

 

その人にはその選択をするだけの過去のストーリーがあると思う。

こういう経験をしてきて、

こういうことを感じ、思い、考え、

小さな選択をひとつずつしてきて、

そして今のその人がいる。

だから、

その人の思うこと考えることすること、

またはその人の心身の状態、

を、

もしそれが悪いとか間違っているとか言うのであれば、

その人を、その人のそれまでの人生を、大切にできていないということである。

その背景、ストーリーを、ココロの動きを、どこまで知ってて、

良いだの悪いだの正解だの間違いだの言えるのか。

何も知らないのに、何を偉そうにジャッジできるのか。

そんなふうにわたしは思う。

ある見方からは悪いかもしれない。

もっと苦しまない選択ができたかもしれない。

それでもそれを経験することが必要だった。

そうすることで、経験値があがって、成長してきた。

不器用でも、上手じゃなくても、

今まで生きてきた。

まだまだ上手ではない、成熟していない、回り道だ、

それでもいいじゃない。

それが生きていくことなんだと

わたしは思う。

  

苦しまないこと

器用に波乗りしていくこと

それが人生の第一目的ではない。

 

まあどうであれ、

わたしを含め、その人にはその人なりの、

積み重ねてきたもの、ストーリーがあり、

それをもとに日々の選択をしていく。

わたしは、

自分自身がレッスンを受けるうえでは、

ときどき自分のそういう背景、ストーリーに気づくことがあって、

それも楽しいと思っている。

同じように、他の誰かのストーリーを教えてもらって知るのもとても面白い。

あぁ、そうなんですねぇ!って。

 

わたしのレッスンに来てくれる人に知っておいてほしいことは

どんなあなたでも大丈夫です

ということ。

カラダがかたかろうが、

どこが痛かろうが、

きもちが落ち込みがちだろうが、

優しくなれないときがあろうが、

別にいいじゃない。

ね。

それも、あっていい。

それにはちゃんと、背景として理由があるんだもの。

そして、

これからどうしたいかは、本人の自由。

 

~つぶやき~
今のところわたしにとっての師は、
目の前に起こる現象、かもなぁ
経験のすべて
そこから感じる、学ぶことができるのであれば。
自分の感度を上げることだな。

ちょっとスピっぽい話になるけど、
人間よりはずっと、大いなるものなんだから、ねぇ。

でもこれがまた、自分だけでは見たいようにしか見られない、という問題。
だから他人が必要。

 

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