わたしはギャーギャー泣く子どもが大嫌いだった。
店の中で、旅館で、温泉で、レストランで、公園で、道端で。
早く泣き止ませるか他へ連れて行けよと親を思わず見てしまうような、
とてもとても嫌なヤツだった。
もちろん我が子が泣くのも嫌。
そんなわたしは、今、
はいはい、もっと泣きなさいな。いいよいいよ。
と思うようになった。
ここ1、2年の変化である。
そんなに嫌だってことを主張できてキミは素晴らしいよ。
そして何かを我慢しなきゃいけないならその怒りや悲しみの感情を発散させておくのもいいよ。
本気でそう思うようになったのだ。
それは、大人になったわたしが、
嫌だと肚から言えないということに氣づいたから。
嫌だって言えなかった。
きもちを外に出せなかった。
そのことが、どんなに後になってから、しこりになってしまうか。
そして、新たな嫌なことに出会っても、
やっぱり嫌だと言えない。
思いや考えを、肚から喋れない。
嫌なことをあんなにも嫌だと出せるのは、
子どもの特権だ。
大人はもうちょっと考えないと、周りとの関係が面倒になる。
思いや考えや感情の通り道を、
詰まらせずに通しておくこと。
子どもにはそれが必要なんだと思う。
許される環境があるのなら、
大人もやったほうがいい。
排水管の掃除みたいに、ときどきやったほうがいい、と思う。
さあ、言えますか?
「嫌だ!」
って、肚から。
声、出ないんですよねぇ。
だから声帯ポリープもできたんでしょうね、我慢しまくった時期に。
子どもに「早くお風呂入ってー」とか「ちょっと手伝って」と言うのも、
肚から言ったときとそうでないとき、全然反応が違う。
肚から言うと早く動いてくれる。
別に怒ってないよ
声に乗せてちゃんと届ける、って大事なのかもね。
じゃないとただの小言にしか聞こえないんだわ。
ていうかそもそも聞こえないんだわBGMくらいにしかなってないんだわ。
夫はわたしがイラっとした瞬間を逃さず動くねぇ、気配でわかるらしい。
それって子どもの頃のトラウマだと思う。わたしにはそれしなくていいのに笑。
ていうかイライラする限界まで挑戦しないでほしいって何回も言ってる。それを肚から言わないとダメか。