おとなの修学旅行・意識や動きの探究

大人の修学旅行に行ったわけです。

おとなの修学旅行・満たされていれば優しくなる

メインはボディワーク講座なのです。

もう、何をしたかあんまり覚えてません。

あーん(*´Д`)

 

どうしてこのワークでこうなるか、

とか、そういう理論的なことが少しも頭に残っていません。

 

そんな中でも、得たもの、感じたものを書き残しておきます。

これ以上記憶が消えるのも何なので。

 

自分のカラダなのに、思うように動かすのは難しい。

いつも思う。笑えるほど動かせない。

今回の一番は、

『呼吸に関係なく胸とお腹を交互に膨らませる』

呼吸を止めてならできるんだけどなー。

ちょっと何言ってるかわからない。

思うように動かせなくても、動かそうとするだけで、変化はある。

できるかどうかはどうでもいい。

できた気がしないワークの後に、変化をチェックしてみると、何と変わってる!

脳が働いたかどうかなのかなぁ。

これは日常生活にも活きる考えだと思う。

半分眠りながらするワークでも、結果がでる。

上の続きなんだけど。

半分というより、ほぼ寝てた。仰向けになって立てた膝が何度もカクンと倒れかかった。

それでも結果は変化してる。

じゃあ一生懸命の意味って何だ?

目の前のわかりやすいところの変化なんて、結構どーでもいいかも。

やっぱり、脳が働いたかどうかなのかな?見えないからわからないけど。
じゃあさ、よろしくないことを脳でやっちゃったら、形になってなくても、、えぇっ、、、
脳って何??

そういうことって他にもあるかも?

自分が経験したことのないものは、人に教えられない。

今までも聞いてきたことだけど、よくわかった。

ここらへんを押すと力が伝わるんだよ、と言うのに、

なんでこんなにわかってもらえないのかなと思ったら、

その人自身がやってもらってなかったから、

力が伝わって勝手に動かさる(方言よ)という意味がわからなかったんだ。

そしてさ、この伝わらなさって、日頃のコミュニケーションによくあるよね。

自分と相手の経験って同じじゃないから、伝わらなくて当たり前。

自分サイドからしか見られないと、

「なんでわからないの?」ってことになる。

自分がスタンダードなのは、自分の中だけの話。

相手からしたら、こっちなんて異邦人、異星人。
言いすぎ?

意識する場所は違っても、動きの結果が同じことがある。

左ひざを追うように左手を動かした結果起き上がるも、

右ひざを倒すときに右腕を伸ばしその結果左腕の置き所を探究した結果起き上がるも、

最終的には同じ形になってた。

(これはやった人にしかわからない。後者の動きで自然と起き上がったときのわたしの驚きと言ったら!しかも絶対選ばないであろう左腕の動きを選択した)

やったことのない動きに可能性がたっぷり潜んでいる。

そこに足は置かないだろう

というところに置いて動いてみると

新しい動きが生まれる。

それは要らない動きではなくて、

実は知らないだけでよりラクに動けるものだった。

マット上で置いたことのないところに足を置いて動いてみよう、

って、

自然と置かさる(また方言、これ便利な表現)やつと、

置いたことないやつ、

どっちの数が多いと思う?

そりゃあ断然、置いたことないやつよね。

じゃあ、そこの可能性って、すでに知ってるものに比べたらさ、

どんだけ世界広いの?

やってみた結果、ラクじゃなかった、もいいんだよね。

ラクじゃないってことが経験されたら、それを選ばなくなるんだろうから。

これ意外とラク!に出会えたら、

その体勢に限らず、何か他の動きのときも、そのラクな連動を使うようになるんだろう。

 

というわけで、

この動きをしたらどうなるとか、

こういう人にはこれをしたらいいとか、

そういうことよりも、

自分の中に何かが落とし込まれていった2日間でした。

なんだか体験したことのない場所の筋肉痛が、、
下っ腹の身体の中心に近いところ

誰かのためじゃなく、

自分が変わる。

そうしたら、誰かのため、は、後からついてくるのかなぁ、きっと。

だから先が長いなぁと思って遠い目になるのよね

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