いつかの記事で書いたのですが
わたしは
料理をすると
そのときの心身状態が味に出ます。
だから
今年ある所でちょっと給食係をしているのだけど
このシゴトを引き受けることは嫌でした。
だって、
ごはん当番の日に調子悪かったらどーすんの。
わたしの調子が悪いと息子がすかさずご飯作りを代わってくれるほど。
「だって旨いもの食いたいもん」
わたしを労わっているわけではなく
自分の食事を氣にしておるのかっ
でも、
逆を考えてみました。
美味しく作る研究をしよう。
そのときに自分の好きなものを思い浮かべるだけでもいい、
という、
加茂谷真紀さんが言っていたことを実験してみよう。
最近買って大事に読んでいる本がこれ。
ずいぶん前に紹介した本の、二作目なのかな?
今回読んでいるのは、
『愛のエネルギー家事 すてきメモ303選: 生活と気持ちが明るくなる、小さな提案集』
わたしは前作より読みやすくて好きです。
小さなコラムが集まっている感じ。
氣が向いたときに開いたページをサッと読める。
家事に心をこめる。
というと、
なんかとんでもなく丁寧にしなきゃいけないようで、めんどくさく聞こえるかもしれない。
でもそんなことじゃなくて。
こころの余裕があればきっと自然にできること。
だから、したくないときはしない、
氣が向いた家事をする。
まずは自分がごきげんでいられるように。
したくないときにしたことって、
そこに残るエネルギーは力をくれない。
たとえば、
疲れた夜のご飯支度、たくさんの品数を作らなきゃとイライラして用意することと、
おにぎりひとつとお味噌汁に愛を込めることなら、
どちらが『雑』なんだろう。
それを食べた人はどうなるんだろう。
わたしは説教臭い育児本が大嫌いだけど、
加茂谷さんの文はスッと入ってきます。
加茂谷さんのYouTubeチャンネルまで見るようになってしまった。
手のひらで人や物のエネルギーを読めるのだそう。
それでね、
わたし、
前回のごはん当番のとき、
あんまり調子よくなかったんです。
ああ、どうしよう。
マズいもの作ってしまったらどうしよう。
わたしは、自分が食べたいものをメニューに選びました。
そして、
外の景色を見ながら、
好きな色を思い浮かべながら、
好きな景色や歌を思い浮かべながら、
かわいい赤ちゃんを見ながら、
今日も平和に暮らせていることに感謝しながら。
みんなの良きエネルギーになるようにと、
料理をしました。
それに自己流に加えたのは、
グラウンディングを意識しながら。
そうして、カンカンに熱した鍋にナスを突っ込んで
ジャーーーーーッ!!と本格中華料理屋みたいなとんでもない音をさせて
仲間がやっと寝かしつけた赤ちゃんを、起こしてしまいました。
そうしたら、美味しくできました。
赤ちゃんを起こしたからって意味ではない。
エネルギーが入っているときといないとき、
自分が一番よくわかる。
実は、人の作ったものを食べるときも、わたしはそのエネルギーを感じてしまう。
今回は、おいしいやつだ。
「うまい」
って言ってもらえました。
ああ、よかった。
ごはんを作るだけなら、
とりあえず何でも作ればいいのだけど、
テキトーに作ると本当に
雑な味になってしまう。
どうしても調子が良くない日もあるけれど、
そういうときは、
好きなものや人を思い浮かべながらでも
充分効果がある。
ちなみにわたしは、
料理は好きでもないし得意でもありません。
その日作ったのだって、ただのお味噌汁です。
作りたくないときは味噌汁でさえマズく作る自信がある。
でも、加茂谷さんの言うように
心をこめることはできるようです。
あんまり余裕がないときでも、
自分のエネルギーを持ち上げて対応することができた。
しかも簡単でしょう?好きなものを思い浮かべるだけ!
ほんとだ、言うとおりだ、エネルギーってあるよね、
と、こっそり感動していました。
じゃあその逆って怖くないか?
嫌々作ったごはんを毎日食べるとか?
まずは自分を満たす、
っていうのを、
自己中心のわがままと勘違いする人もいるけれど、
わたしが一番楽しいとか
わたしがしたいからするとか
他の人はどうでもいいっていうのは違います
自分を整えるということは
基礎の基礎なんですね。
料理は、
作る、それを相手が身体にとりこむ、
というのがはっきりしているから、
わかりやすいけれど、
掃除や洗濯も、
そこにエネルギーが残る。
それを家族が使う。
それなら、わたしはどんなエネルギーで家事をしたいだろう?
黒くてドロドロしたものを渡したいだろうか?
明るくキラキラしたもので支えたいだろうか?
今日は氣分が乗らないけど、
たまった家事はしなきゃいけないので、
90年代邦楽ヒットを聴きながら
ネギを切ったり洗濯をしたりしたら、
そこそこご機嫌になってきました~。
マイラバが懐かしすぎた