どこまで見えていてその意見なのか

closeup photo of brown brick wall

どこの国にもどの民族にも、

悪い人もいて

良い人もいる。

(良い悪いについてはここでは置いておく)

 

だから、

どこの国ならやっつけていいとか、

どこの国なら敵だとか、

そういうことはないと思うのだ。

どこの国にだって

どこの民族にだって

小さな小さな赤ん坊がいる

穢れのない目をした子どもがいる

心優しい大人もいることだろう。

 

守らなければならないものはあるのかもしれない。

でも、

何の関係もない人々の日常や

命が

軽んじられていいわけがない。

そもそもの戦いの目的は、本当に言われている通りなのかということも

怪しいものかもしれない。

 

助けているつもりで送るお金や物資が

本当に助けたい人たちのためになっているのか

考えたことがあるのだろうか。

 

知らぬ間に搾取や助長する形になってしまうことが残念ながらある、

でも、

あまりにも考えなしに、

無意識に誘導されて思考が流されてしまっていることはないか。

 

例えば、ニュースなんかで見る領土の色分け。

なぜそこの国の領土とされるところにその色を使うのか?

なぜ、危機感を持たせる色を一方に使うのか?

わたしは様々な事情や歴史的背景を知らないから、

どっちが悪いなんてわからないけれど、

どちらかの肩を持つような報道の仕方なんて、、

それで良いのだろうか。

どちらの国がどうと言うつもりはなくて
領土の色分け色遣いが逆であったとしても、

なぜそういう感情や思考を誘導するようなことをするのか同じく疑問に思う。

 

攻撃しろ、負けるな、戦え、

という人たちは、

自分や自分の大切な人が、戦争で傷ついたり殺されたりすることを

イメージできるだろうか。

自分が戦地にいたなら、

どっちが勝つかよりも

はやく戦いをやめてほしいと思う。

戦え、と言うのは、

現地で、当事者で、どうしても戦いが必要だと思う人ならまだしも。
居るんですかね?

なんだか理解を超えることばっかりだ。

 

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