好きなことは突然に

たまたまユーチューブのおすすめにあがってきたのが、絵画のチャンネル。

また忘れてた。

わたし、絵が好きだった。

美術館が好きだった。

イタリアの、とある美術館のとある絵を見た記憶。

筆の跡に感じられる生命。

これは本当に人が描いたんだ。

そしてその人はもうこの世にはいないのに、こんなにもそのときの熱が残っている。

教科書で見た のっぺりとした絵と違うその筆の跡を見て、泣いた。

ヴィーナスの誕生、ボッティチェリ、と暗記するだけの世界史か何かの授業って何だったんだろう。
どうしてこの素晴らしさを教えてくれなかったんだろう!
何の興味もなかったよ。でも本物見た途端、絵の前で動けなくなって泣いているわたし。
そもそもこれ、こんなに大きい絵だったんだ。。。
絵の名前と作者を覚えても意味がない、これは本物を見なければ。

 

わたしは絵を描くことが好きだった。

高校のときは、寝る間を惜しんで油絵を描いた時期がある。

テスト勉強のために手にしたはずのシャープペンシルで不思議な世界を描き始めたことも多々ある。

 

絵で食べてはいけないし

美術科に進学するほど技術もないし誰からも習っていない

 

絵を描くことは好きでも

どうしても明るい絵にはならず

それも少し嫌だった。

それこそがこの時期の心象画だと、美術の先生は褒めてくれたけれど。

 

そうして当たり前のように絵からは離れていった。

 

そして今になって

動画で次々と絵画の解説をしてくれるのを見て
しかもたぶんフランス語で何を言っているかわからない

どれもこれも素敵だと思ってパソコンの前で泣いている自分がいた。

一体どういうことだ、これは。

滑稽、という言葉がピッタリ。

 

教員の仕事で何が辛いって

子どもの描いた絵を評価しないといけないことだった。

これはこれで、こんなに素敵なのに、

そのときに学習させたい技術を使えているかということや、

人と比べてどうかということ、年齢的な発達からしてこれくらい描けるとか、

上手いとか下手だとかという意味のない評価

そんなことに囚われていく世界に自分が関与していることに

心底イヤになった。

全員大変良いにしたら良いかと言えば、それは不可能なのである。
担任の裁量で成績が変わってしまうのを防ぐため、
縛りがある。

新卒時代に保護者から集団で嫌がらせされたときよりイヤかもしれない。

子どもがキラキラした目で「見てー」って言ったものを

低評価にするなんて心が折れる。

 

わたしは、その人が何かを表現したいと思ってすることが好きなんだと思う。

だから、

その人がその人らしく、したいことができるように、

そのお手伝いをすることが好きなんだと思う。

それが、かつて教員という仕事を選んだ理由だろうし、

今、ヨガやボディワーク、トークセン、そしてお悩み相談なんかもやっている理由なんだろう。

全部、その人の本来もっているものを引き出す系。

 

また美術館に行きたいし、

また、絵を描きたい。

誰にどう見られるではなく。

 

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