お母さんだけど、家事好きじゃないし子どもと遊ぶのも好きじゃない。

家事は好きじゃない、けど。

わたしは家事が好きではありません。

まるで英語の日本語訳みたいな文だ。
I don’t like housework.
housewoek っていうより house choresの雰囲気かも。
雑事。

 

後始末、が嫌い。

自分の後始末も面倒なのに、人の後始末するとか、マジ勘弁。

テーブルの上のティッシュ捨てるとか、なんで自分でしないのかな。

妥協してテーブルの上に小さいゴミ箱置いたんだよ?

ゴミ箱に手が届かないほど巨大なテーブルでもないし。

朝ごはんのお皿は下げないし。

ソファで食べたお菓子のパッケージとかも回収。

しつけの問題ったって、

ゴミ捨てろ、皿下げろ、くらい言ってますわ。

ごはん作るのだってそんなに好きじゃない。

洗濯物干すのは好きだけど、畳むのは嫌い。

掃除機かけようとしても床になんかいろいろあるの拾うの嫌い。

鍋とかシンクとか床とか磨くのは好き。

 

もー、なんでわたしがしないとならんの?

と、思っていたわたしに、

転機が訪れる。

 

『なぜわたしは家事をするのか』を考えた。

 

だって家族がやらないから、じゃなくて。

だってわたしがやらないと他にやる人いないから、じゃなくて。

 

自分が、心地よく暮らしたいと思っている。だから掃除する。

自分が、家族に、美味しくて身体にもいいものを食べてもらいたいと思っている。

自分が、家族に、きもち良く眠ってもらいたいからシーツを取り換えてあげる。

自分が、こうしたいから。

 

ああ、わたしがそうしたいからするんだ。

 

そうすると、さっきよりは、動く氣になる。

家事って、愛だなぁ。

 

だから、もちろん、自分が疲れていたり、どうしてもやる氣にならなかったり、

そういうときは、休む。

家族に心地よくいてほしいのに、わたしが不機嫌になったら、

わたしも家族も、全然心地よくない。

 

そりゃあ、家族に、こうしてほしいとか、自分のことくらいしろとか、

もう疲れましたとかも、言うけど。

わたしがしたいことの邪魔しないでよね!ってことよね。

 

子どもと遊ぶの、あんまり好きじゃない、けど。

5才の末っ子とね、公園に行くわけですよ。

「ママー、見てー」

「ママー、こっち来てー」

「ママー、ブランコ押してー」

ブランコ押すくらいはやります。

アスレチックでの動きを観察するのも楽しい。

でも、なんかつまんなくなってくる、わたし。

ねぇ、お散歩いこーよ。

と、提案するも、

「嫌だここで遊ぶのぉ」

えー、ほら、あっちにカモさんいるから見に行こうよ、

とお散歩を始めるも、

末っ子は口をとがらせながらブツブツ言ってる。
「もー疲れたーおんぶしてよー、つまんないー、帰るのはいやだー、戻ってよー」

そして早々にまた遊具へ。

 

わたし、ダメなお母さんなのかなぁ、子どもと遊ぶの、好きじゃないもんなぁ。

一緒になって楽しそうに遊ぶ大人もいるのにさぁ。

 

そこで思ったんです。

でも、子どもと散歩するのは、嫌いじゃないもん。

これって、

単なる好みの問題では。

末っ子は、遊具で遊ぶのが好き。

わたしは、お散歩するのが好き。

末っ子は、お散歩にもカモにも興味がない。

わたしは、遊具に興味がない。

大人だから子どもに合わせる、はあるけど、
しかし子どもが大人に合わせる場面の方がきっとずっといっぱいある氣がする。
自分の子ども時代を思い出すと。結構不自由じゃなかった?
出かける場所、時間、食べるもの、などなど。

大人なのに子どもと楽しめない、は、ズレてるんじゃないか。

大人、子ども、って枠を外してみるの。

Aちゃんは遊具が好き、

Bちゃんはお散歩が好き。

だから一緒にはあんまり楽しめない。

お絵かきなら一緒にできるかもね。

 

親なのに子どもと楽しめない、って、違う。親として悪いわけでも何でもない。

親なのに、ってのは要らない。

好み、興味、が合わない人とどうやっていこう、というだけのこと。

 お散歩とカモは別の日に。

 

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