やらない言い訳見つけたら、、

夢なんてあるかよ。

と、思った。

何となく、引き寄せノートの書き方♡みたいな動画見ていて。
なんでそんなの見たんだか謎

 

したくないことはわかっている。

時間の自由がないこと。

自分のポリシーに反することはしない。

それくらいかな。

 

でもね、

わたしはずっと思ってることがある。

学校じゃない学びの場を作りたい。

 

それは、どういう形式なのかわからない。

一斉なのか個別なのか、規模はどれくらいなのか、

オンラインなのか建物があるのか、

定期なのか不定期なのか、

対象は誰なのか、

全くわからない。

大きい学校とかではない。文科省認可とかそういうことじゃない。

一番しっくりくるのは寺子屋かもしれない。

でも寺子屋のことわかってるかと言えば、

歴史の教科書に載ってた絵くらいのイメージしかない。

 

学ぶことでその人がキラキラする。

学びの楽しみがある。

 

探究学舎の授業に行ったことがある。

ちょうど札幌に来ていて。

ああいう感じ、好き。

伝える側も本当にそれが面白いと思っている内容で、

子どもたちが笑って、目をキラキラさせながら話を聞いている。

先生が、まるで夫みたいだった。話し方や、ノリが。
自分を見ているようだった、と夫本人も感想を述べたほど。

すごく感動した。

わたしがやりたかったことってこういうことだったんじゃないか。

学校が楽しくないと言うのに、その授業で楽しそうなわが子たちを見て、

わたしは泣いた。

先生になりたいって、そういうことだったんじゃないか。

教員として稼ぐってことじゃなくて。

でも結局そういうのは受験とかがない世界の話だ、

と、夫と帰り道に話した。

でもわたしはずっと思っている。
夫の持っている能力、今の職場じゃもったいないなぁって。

 

どうせ無理。

わたし、植松電機にロケット作りに行ったことあります

 

今日、引き寄せの動画のお姉さんが

大きな夢をかなえるまでに何をしていくか遡っていく、

というのをやっていて、ご自身のことを例に書いていたのだけど、

この人みたいに夢なんてあるかよ、

と思いながら、、、

わたしは思ってしまった。

やっぱり、学びの楽しさを伝える、ということをやりたい。

 

いつもそうだ。

教育関係の何かに琴線が触れる。

楽しそうに学ぶ顔に、

本当に子どもたちの成長のためにと力を尽くす人に、

出会うとポロポロ涙が出る。

どうしてかわからない。

保育園のお便りを読んだだけでも泣ける。
コロナ禍でも先生方が子どもたちの学びや体験を止めまいとする気持ちに。

 

わたしがボディワークを好きなのも、同じようなことだ。

あなたの中に可能性も伸びしろもちゃんとある。

ただ眠ってるだけ。

そして大抵の人は、その可能性も伸びしろもないと思ってる。

けどね、それが、ある、ってことを自分で感じられたときの、

喜びっていったら。

自分がダメ人間なんじゃなくて、

自分の能力を引き出せていなかっただけなんだ、

そんな話はよく聞くけど、

実際に体感することってそうそうない。

話なんかより体験は強烈だ。

そして、それをガイドできることも喜びでしょ。

 

 

 

でもわたしには無理だ、

と思っている。

わたしは

クレームが苦手すぎる。
それはもう立派なトラウマ級だ。

氣力体力がなさすぎる。

対人能力が低い。

お金のブロックがある。

 

 

そうね。

そうよね。

でも、今日初めて思ったこともある。

 

じゃあ、それ、全部取っちゃえばいいよね?
あー、そこ、氣づきたくなかったーーー!
そしてそういう思考になる自分って新鮮!
ああ、学んできたからこそだわー

 

否定されることの恐怖感、

人と接することのギクシャクさ、

お金の感覚、

失敗への恐怖。

氣力体力は、まだだけど、地道に頑張ってきたよね?

年齢と、鬱だったことは、やらない言い訳。

 

要らないものの取り方、

もう知ってるよね?

 

あーあ。

怖いなぁ、進むの。

でもね、学ぶ楽しさを伝えるしごとしたいって思ったら、

涙が止まらなくなるの。

どうして??

誰か助けて(;´∀`)

 

でもね、つづき。

傷とライフワーク

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