自分の思いや考えを言うと、
不機嫌になられたり、
ひどい時は暴力で返ってきたりする。
そんな経験がある人は、
以後ずっと、その方程式を身体に刻み、
それが当たり前のようになっていることが多い。
しかもその自覚さえない。
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わたしもその一人だった。
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でも
それは
相手を怒らせることが嫌と言うより、
自分の恐怖感、からの逃げなのではないか。
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嫌な思いをしたくない、
痛い思いをしたくない。
だから、
どうせ相手は言っても聞いてくれないし怒る、だから言わない、
と思うと、
もう傷つかなくていいわけだ。
あとねー、
どうせ言ったら怒られるし嫌われるけど言うわ!
どうせわたしは嫌われ者!
っていう捨て身ヤケクソパターンもあるのよ
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でも、
そういう傷つき方からは逃げられても、
何か違うなぁと、
思うときが来るのである。
コミュニケーションを必要としたときに。
大切な人との関係性と育んでいきたいときに。
恋人や配偶者やなんか。子どもとか。仕事や遊びの仲間とか。
だったら黙っていよう、
が続くと、
それはそれで何だかなぁ、と。
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・
まず、
過去に自分は傷ついたけれど、
そのパターンは必ず起こるとは決まっていない、
ということを認めてみよう。
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相手も成熟したかもしれないし、
その相手がダメだとしても、
他の人は違うかもしれない。
自分だって、前より上手に伝えられるようになっているかもしれない。
・
そして次に。
怒るかどうかは相手の問題だということ。
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同じことを伝えても、
怒る人と怒らない人がいる。
殴りかかってくる人もいれば、
黙り込む人もいるけれど、
どうしてそう思うの?って質問してくれる人もいるし、
嫌な思いさせてごめんねってあっさり言う人もいる。
言い訳を並べだす人もいるかもしれない。
・
相手がどう思いどう反応するかなんて、相手の問題だ。
わたしが「どうせ言っても」と思う経験があったからそうなっていたように、
相手にも、何らかの経験だの思い込みだの反応パターンがあるから、
そうとしか受け取れないのだ。
相手の中の設定がそうなのだ。
・
それなら、
相手の不快感まで面倒を見てやる必要が、
自分にあるだろうか?
・
こっちは、わざわざ怒らせないように伝え方を工夫することはできる。
でも、それでも、やっちまった!ってなったなら、
それはもう、
わたしのせいではないっ!
・
どうしたら相手が不快そうにしても心を揺さぶられずに居られるか。
それは、自分と相手は違うっていう感覚を手に入れることかなぁ。
いくら理屈を聞いても読んでも、わからない。
でも、身体にストンと落ちるときがある。
わたしはボディワークのときにそうなった。
ああ、そっか、って。突然に。
だって、わたしこんなに抱えていて今までの思考や言動があるなら、
他人だって同じだよね、と。
まあ、ヨガでいったら、カルマ?
相手のカルマまで責任もてないよね。
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大切なのでもう一度書く。
他人の不快感の面倒まで見なくてよろしい!