言語化について①きっかけでありゴールではない

モヤモヤするときには

よく紙に頭の中を書き出します。

 

言葉にすることで

言葉になっていなかったきもちに氣づいたり

思考が具体的になったり

理屈が通るようになったり

計画できたりする。

他人に伝えることもできる。

 

ボンヤリしたところから

すくいあげることができる。

 

だから、

わたしもプライベートレッスンなどでは

『言語化のお手伝い』を入れています。

 

でもそれは動き出すきっかけでしかない。

それに、言葉にして表わすことにより、

余計なイメージや記憶や思考や感覚が入ってしまうことがある。

そんなことについて、書きます。

 

言語化は、動き出すきっかけになるだけでゴールではない

なんかイライラする、

落ち込む、

やる氣が出ない、

モヤモヤする。

それすら感じられない人もいる。

そんなときは、言葉にすることで、

モヤモヤとしていたものが形になり、

拾えるような感覚になる。

あーそういうことを感じていたのか、わたし、って。

 

でも、そうわかったところが、スタート。

そうかわたしそう思ってたんだ!
って満足しちゃうともったいない

 

どうしてそう思うんだろう?

本当にそうなのか?

思い込んでいることは?

それは過去の経験と繋がっていないか?

思考のクセがあるだろうか?

 

この過程はちょっと苦しいかもしれない。
ちょっとどころじゃないかもしれない。

でもこれをしないことには、

何の解決にもならない。

その場では解決したように感じても、

また、ぶり返したり、

他の問題を通して見せられたり、する。

なかなか奥が深くて、

ちょっとやそっとでは辿り着けないこともある。

 

だって、

心の奥底の箱にしまって鍵かけちゃってる場合がある。

それが重要であればあるほど。

すっごく傷ついたから、

もう見なくていいように、

厳重に仕舞って、なかったことにしてるんだから。

なかったことか、解決済みってことにしてる。

でも、すっごく傷ついたから、

どうしても、日常生活に影響し続けてしまう。

 

もう見たくない箱は、

身体にも影響を与えている。

ていうか、身体を使って押さえている、みたいな感じ。

だから、トークセンなり、ボディワークなり、ヨガなりを、

使えばいいと思う。

 

いったん箱を開けちゃうと、

ズルズルズルっと、

他の痛みまで出てきちゃうときがある。

こうなると、長期戦。

わたしの場合、何か月、何年、ってかかる。

でもそれだけのものがあるんだし、

向き合えたら、その先が変わる。

 

そもそも傷つかなくてもよかったんじゃないの?

という衝撃の結論に達することもある。

どうするのかっていうのはうまく説明できないんだけど、

質問をしてみるってことなんだけど、その質問の内容が重要。
でもこの質問にマニュアルはないし、何かで学んだわけでもない。
これ聞かれたくないだろうな、困るだろうな、ってわかっちゃう笑
それがポイント。そこ突いてくる?な質問。
でも突きすぎると殻に閉じこもっちゃうから加減が。。。

全く違う視点から過去の自分や周りの人や状況を見たときに、

思い込みだったことに氣づいてガーンってなる。

逆に、いやそれあまりにも酷い仕打ちだったから、

ちゃんと怒っていいんだよ、って思うこともある。

素直なモードになれるかどうかなんだよね。

それって身体から作れるとわたしは思ってる。

 

じゃあどうしたらいい?

って、考えられるようになるのは、

ここから。

 

表面に出てきた言葉だけで、

じゃあどうしたらいい?

も、ありだけど、

それは根本ではないから。

その奥を見てから。

 

言語化は、余計な言葉の情報が入ってくる

続きは、次回。

 

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