もう死ぬとしたら何が際立って美しく見えると思う?


社会を良くしたい、

教育を変えたい、

幸せな人を増やしたい。

そのマクロの視点から

キューーーっとズームして、

 

パートナーには優しくできただろうか?

子どもは?

親は?

仲間は、友人は?

近所の人は?

今日関わった人は?

自分自身は?

 

 

身体からラクにする方法を学びたくて。

学べば学ぶほど、

何も知らないことがわかる。

自分がどんなに力がないかも痛感する。

学ぶのは楽しい。

 

でも、

学んでも学んでも、

身近な人が笑顔でないのなら、

日常の小さな行動が変わらないのなら、

それが何だって言うのだろう。

学んで、知識や技術が身について、

遠くの他人を助けることができて、

それで感謝されるかもしれないしお金をもらえるかもしれない。

痛みが取れました、って言われて、嬉しいかもしれない。

でも。

 

まだまだ何もできない、

と思っているわたしでも、

悩む仲間の話を聞いて抱きしめることはできた。

それが自然にそうしたいと思えて、

驚かれつつも何か伝わり合うものがあって。

こういうわたしになれたのは、

学んで自分を磨いてきたからだ。

自分でも驚いた。

逆の立場だったこともある。優しさに心が解けて泣いた。

わたしはそういうことが好きだ。

人と人とが通じ合って涙が出るようなとき。

学んで学んで知識と技術を身につけても、

そうなれるかは別の話だ。

身体を治せても、

心に寄り添えるかは、

別の話だ。

どう花開くかは、人によるってこと。

わたしは大切な人を大切にできているだろうか。

わたしがすでにできることを、

ちゃんと使えているだろうか。

 

アップデートと実践と。。。
先ばかり夢のように見て、
目の前の現実を見ているのだろうか。

 

時間はどんどん流れていく。

仕事をする時間、学びに出る時間、

家事をする時間、何となくスマホを見る時間。

 

あのねー、きょうねー、ほいくえんでねー、

っていう末っ子の話を、

楽しく聞けないわたしがいた。

それより優先されることって何なんだ。

フルタイム勤務時代、

子どもたちの晩ごはんをエサのように感じながら作ったとき、

あのとき仕事を辞めたいと思ったんだ、

それと少し似たきもち。

 

わたしが大切に思っている人との時間は

後戻りして手に入るわけでもない。

パートナーも自分も少しずつ老いていくし、

子どもは育って巣立つだろう。

 

自分がこの世を去るとき

手放さなきゃいけないと氣づいたときに

きっと際立って美しく見えるものがある。

走馬灯のように世界が見えたら

何を目に焼き付けたいと思う?

 

わたしは美しい自然を見たい。

わたしは家族を抱きしめたい。

大好きだと伝えたい。

 

それなら、

それを、

今、

大切にしよう。

 

優先順位を、考え直します。

何となく、から、大切にしたい順に。

全部をできたらいいんだけどなー!
そんな体力と氣力がない。
わたしはゆっくりのんびりが好き。

 

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