「わたしなんて」を捨てる


ボディワークやヨガやトークセンを学んでいるとですね

自分のことが嫌になっちゃうときがあるんですよ。

 

そりゃそうですよね。

ボディワークを一緒に学んでいるのは

理学療法士さんや作業療法士さんもいる。

ヨガだって

身体能力はそれぞれだし。

トークセンだって、

現地に行ったり何年も毎日施術してきた経験があるのだろうし。

 

わたし、全部中途半端じゃね?

 

って思う。

 

わたしがやってきたこと?

教員も辞めちゃった

その仕事していた時だって何かを得ようとまでは思っていなかった

一応英語が専門だけどそれも得意じゃなくて諦めた

何もない。

 

とは、思うんだけどね。

 

でも

仕事が辛くて過敏性腸症候群になる人のことはわかる。

毎日胃が痛くなる人のこともわかる。食べたら即激痛。

そういうの無視していくとウツになること、

そこから少しずつ回復していくこと、

回復するとむしろ世界観・価値観が変わって前より良くなること。

家族の難しさ。子ども時代のトラウマ。

産後クライシスの闇。

病気になって死ぬということ。

魂はあるということ。

3人の子育てをしていること。

いじめ。不登校。保健室登校。学校とのやりとりの難しさ。

人間関係を変えること。

ヨガとボディワークとトークセンで実際に救われてるということ。

 

職業的な経験っていう縛りを無くすと

あまりにも独自の経験があるではないか。

 

わたしは

学問的な知識じゃなくて

勘でやることがほとんど。

いやもちろん学んだことを使いますよ。
どこそこ筋が、とか専門用語は頭に入らないんだよねー。
それよりは、そのときに、感覚を研ぎ澄ませて人と向き合う方が、やりやすい。

「なんか知らんけど、ここを触った方がいいと思う」

って触ると

「あああああ」

と痛がられたりする。そこ、詰まってるのね。

トークセンのあとにツボを圧すことがあるけれど、

そこの押したところからツーーーっとどこまで通っているか

どこで止まっちゃうのか

なーんとなく、感じる。

圧したところから繋がっていそうなところを目で追うと

追えなくなる点がある。

それはわたしの特殊能力ではなくて

たぶん同じようなことができる人はいると思う。
わたしの周りにはたくさんいそう。

でも、何ですかそれ?って人もいるんだと思う。

 

感覚を研ぎ澄ませて人を観ること

言葉にならない見えないところまで感じようとするのは

教員の経験の賜物かもしれない。
そこの感覚を使わない先生もいますよそりゃあ。

この子は本当はどう考えているんだろう、

どうしてそういう言動になるんだろう、

何をしたらいいだろう、って。

 

 

にしても、

職歴とかそういうのには表れない強みってあるよなぁ。

 

やっぱりねぇ、

毎日人と向き合ってる職業の人は、すごいね。

経験がモノを言うよね。

 

比べてもしょうがないんだな。

みんな、よい。

その人ができることを、したらよい。

 

どの角度から見るか。

どのメガネで見るか。

そういうこと。

この話題に限らず。

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