本でこんなに打ちのめされたのは初めてだ。

打ちのめされていました。

 

先日紹介した安冨歩さんの本。

ハラスメントは連鎖する
「しつけ」「教育」という呪縛

読みました。

 

それにもかかわらず、いつも気分は晴れず、何かうれしいことがあっても一瞬のことで、肩こりやアレルギーに悩まされている。そもそも人間や社会は複雑なものであり、人生はつらいものなのだから、自分はこうやって死ぬまで生きていくしかないのだ、と思う。

はじめに より引用

というパターンの人が少なくなく、

その大本はハラスメントだっていうの。

よくわからない理由で、鉛色の空の下であえいでいるのなら。

社会のせいだって思ってたわ。

 

なかなか読み進められなかった。

言葉が難しいのと、
結構頭を使わないと理解が追い付かないのと、

心をえぐられるような感覚と。

 

ハラスメント。

英語でharassは「嫌がらせをする、やいやい言う、攻撃する」
その名詞がharassment

日本語での「ハラスメント」ってなんだかもうちょっと複雑な意味な氣がする。

 

安冨歩さんと、本條晴一郎さんの共著です。

本條さんの書いた章で、魂とか言うんでちょっとびっくり。

 

 

読んで頭に残っていること

この本での「ハラスメント」は、

否定と強制の二重の抑圧。

人格に対する攻撃と、

人格に対する攻撃だと氣づいてはいけないという命令。

 

例えば。

親が「もう疲れたから寝なさい」と言う。

それは、言葉としては、「あなたのことを大切に思って言っている」なんだけど、

本音は「もううんざり。早く寝ろ、うせろ」

というケース。

子どもは、その本音を受け取ることは辛すぎてできない。

でも、親が愛していると見せかけて嘘をついている、という事実を認めるのも辛い。

もしそれを指摘したところで、親をそんなふうに思ってるのかおまえは、と言われる。

正しく認識したら罰せられる。

もう、がんじがらめ、だよね。

ん、そうか、疲れていないと思うけど、なんだか疲れている氣がする、

と、自分の感覚を否定する。

 

例えば。

親が勝手に作った決まりを守らないから子どもを叱る。

子どもはその理不尽さに泣いて感情を表現する。

すると親は「うるさい泣くな」と言う。二つ目の罰である。

罰と感じるお前を罰する、と。

じゃあ叱られても泣かないで平気でいたらいいのかというと、

罰を罰とも思わない、と言われてしまう。

感情を出すことも、嫌だ、おかしい、と感じることさえも否定される。

自分の感情は置いて、言うことを聞くしかない。

 

そんなふうに自分の感覚を否定し続けていくと、、、

 

自分の本当の氣持ちがわからない

って、よく聞くし、わたしもそうなんだけど、

そうなるよね。

自分の感覚への不信が根底にあるのだもの。

わたし、おかしいのかな、って。

 

そんな感覚をもちつつ、とりあえずの表向きの自分をそれでいいと思い続ける呪縛。

自分の感情、情動反応を忘れ、

他の誰かからの評価に振り回される。

お金がある、勉強ができる、、、外の規範。

たとえ褒められたところで、一瞬嬉しいような氣もするけれど、

すこししたらやっぱり満たされない。

そして何をやっても、何か違う。

それは、

自分で自分のこと、受け入れてないから。

 

そんな人が、大人になって

社会に出たり親になったりしたら、

次はどうなるか。

想像通りです。

よくわからないけれど従って、

よくわからないけれど従わせる。

一体どうしてこういうことになっているのかわからないけれど、

まあそういうもんだろうと日常を生きていく。

 

 

「わたしは明るい」「わたしは優しい」というラベルは、

自分自身ではなくて、過去や想像でしかない。

今あるわたし、何を感じているだろう。

今あるわたし。情動。感情。魂。

 

アリス・ミラーは、すべての教育は闇教育だと言ったそうだ。

悪意なく良かれとおもってやるものもすべて。

教育はハラスメント。

うーん。

確かに、そうかも。

でも学問はまた別なんだよ。

 

教育も、カウンセリングみたいなことも、

それをする人が自分のそれまで受けてきたハラスメントを正当化しようとする行為になってしまうことがある。

わたしはこれがよかったから、

っていうのは。

相手を思ってというより、

そのわたしを肯定するためにやっていることがある。

ああ。あるある。

 

自分の感覚に従って判断し行動する、

それは赤ちゃんでも豊かにもっている能力。

 

相手の生命を大切にしてコミュニケーションすること。

文脈によって変わるメッセージを読み取り、学習しつづけること。

相手とは違って当たり前ということ。

だからこそ、学習をやめないこと。

この辺になってくると、読まないと伝わらないかも。

 

じゃあ情動を第一にしてみんなが動いたら世の中は大変なことになるのか?

みんなが自分勝手になるのか?

情動を第一にしている人たちがたくさん増えたら、

自分勝手、は受け入れられないだろう。嫌だもんね。

消えはしないだろうけれど、ひっちゃかめっちゃかには、ならないだろう。

 

あ、そうそう、ハラスメントの例として、

靖国の話はわかりやすかった。

デリケートな話題なのでここには書かないけど。

知りたければ会ったときにお話しします。

 

 

読んで思ったこと

読むの、辛かった。

 

わたし、認めたくないけれど、母からもハラスメントを受けていたんだな。

だから、何か、モヤモヤしていたんだな。

父親が機嫌によって暴力をふるう。

お父さんは仕事で疲れているから仕方ない。

あなたが怒らせるから悪い。

あなたのことは大事なのよ。

 

暴力をふるうって、やっぱり、理由があるから仕方ないなんてことはない。

 

あなたが我慢したら家庭はうまくいく、だから今は耐えろ、っていう意味だったんだ。

母がそんな思いを自覚していたかどうかはともかく。

父からも、母からも、ハラスメントを受けていたんだ。

この本でも、

両親のどちらか一方を良く見てしまうことがあるって書いていた。

だって、両親ともからハラスメント受けてるなんて、辛いものね。

でも、自覚しないことで、

その代わりに、

自分の感覚を破壊してきたんだ。

 

で、わたしは今更母を責めるつもりもなく、

ああ、そういう構造だったんだ、ってわかった、それでいい。

母には母で、いろいろあったのだろうし。

先祖のカルマってそういうのかなって思ったりなんかして。

 

もちろんそれだけではなく

世の中にはハラスメントが溢れていて、

だから今のわたしは、

自分の氣持ちがわからなかったり、

本当にしたいことがわからなかったり、

何か不安だったり、

人からの評価も氣にならないなんて嘘だし、

世間で「自分探し」っていう言葉も生まれるんだ。

 

でも。

なぜ傷ついたのかそのしくみを理解すること。

それだけで、軽くなった。

 

こんなことを感じながら本を読むなんて。

子ども時代を掘り返して

また新たな形で傷ついて

でもそうしてちゃんと認識することで癒された。

完全ではないんだろうけれど。

カクメイの後にこの本来るかよ。
以前の記事をお読みの方はわかるかと思いますが。

 

 

自分も多かれ少なかれハラスメントをする側になる、

それが避けられないことも辛い。

ハラスメントの構造がわかっただけでも、違うとは思うけど。

 

たぶん、

わたし、夫に対しても、かなり、やってきちゃったな。

最近のわたしは整ってきて、前ほどおかしなことは言わなくなったと思うんだけど、、、

でも、その影響が残ってるなって、

夫と話していて思うことがある。

「なんでそんなに自分を責めるの?あなたが悪いなんて一言も言ってないじゃない」って。

わたしがそうさせてきたのかもなって。

でも、自分を責めてしまうという夫の心の動きを否定することも、

ダメなのかなぁ。

むーずーかーしーーーー。

 

もちろん、子育てだって、

そんなつもりないのにハラスメント、やってるよなぁ。

そうならないように、って思っているけれど。

わけのわからない規範を押し付けて、

それを守らないって罰を与える、なんてね。

はー、嫌だーん。

 

コミュニケーションを諦めないこと。

自分の感覚にもっと意識を向けて受け入れること、優先すること。

相手の情動を、魂を大切にすること。

これが、これから、できること。

 

この本、ガンジーも、ラーマーヤナも、魂も、フロイトも孔子も星の王子様も出てくるよ。

星の王子様の話が嫌いになっちゃった。。。バラ、超絶ハラスメントやん。

そしてさー、この本、絶版なの?こんなすごい本なのに。

図書館にあるよ。

 

つづき
コミュニケーションの難しさ、自分を大切にすること

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