過去の嫌なことを何度も思い出すことほど、意味のないことはない。

過去のことを何度も思い出しては傷ついていた

私、過去の嫌なことを、何度も思い出す癖があります。
いや大分マシになったけどね。

シャンプーしながら、20代の頃の嫌な記憶を反芻したりしますね。
きっと嫌なことを言われたあの日の夜に、シャンプーしながら思い出したんでしょうね。
そうなると大変。シャンプーするたびに思い出すことができる。
言われた言葉も、相手の表情も、雰囲気も。
すっかり紐づけられてしまった。
条件反射ですね。
全くアホな話です。私アラフォーですよ。20年近くも自分に向けられた嫌な言葉を反芻している。
あまりにも毎回シャンプーのたびに思い出すので、
『なんであんな人に何年も傷つけられなきゃいけないんだ。終わったことだ。もう関係ない。』
という言葉で、記憶ドラマをストップさせるというところまで習慣にしちゃいました。
それでも、数か月は、続いたかな。
当時、そのときの職場の近くに行くと、お腹が下ったり、過呼吸っぽくなったり、涙が出たりしてね。
デートコースにもなるステキな地区なのに、デートでは絶対に行けない。通るのもイヤ笑。
それくらい、嫌だったから、強烈だったんだと思う。
そういえば最近、嫌なこと、思い出さなくなった。

 

過去の、嫌なことを、何度も思い出すことほど、意味のないことは、ない。

何だこのややこしいタイトルは。

でもその通りなんです。

嫌なことを思い出しただけで、身体の中ではストレスの反応が起こる。
変な汗をかいたり、お腹が痛くなったり、泣きたくなったり。
もう嫌なことはそこにはないのに。
思い出すことで、再体験してしまっている。
アンポンタンですよ!

 

嫌な記憶に囚われる理由

嫌な記憶に囚われてしまうのはなぜか。

失敗や嫌なことの記憶を強烈にすることは、
生物として、命をまもるためにプログラムされていることなので、どうしようもないです。

危険なものを避けるように、または注意するように。

だって、いつも頭の中がお花畑だったら、注意力なさすぎて危なっかしいです。

事故にあった、災害を経験した、というものから、小さなケガや、気持ちが傷ついたこと。
そういう経験を資料に、ヒトは生命を守るために考えたり行動したりします。
恐怖や嫌悪などとして強烈な印象を残せば、気を付けられる。

けど、その脳のプログラムのおかげで無駄に警戒しすぎて、心が疲れてしまうんですよね。
車にひかれそうになった経験も、誰かにちょっと言われた嫌味も、
重要度は全然違うのに、脳では『私を傷つける危険なもの』として分類される。

失敗も、嫌なことも、経験していいと思うんです。
失敗があるから次の手を考えられるし、嫌なことがあってもそれがきっかけで何かが起こるかもしれない。

 

そもそも『嫌なこと』じゃないかもしれない

だいたいね、『嫌なこと』っていうカテゴリに入れちゃうのだって、自分勝手ですから。

例えば、スケジュールがうまくいかなくてネットで買い物したいのにできない。
突然用事ができた、子どもがジュースこぼした、電話が来た。ことごとくタイミングが合わない。
寝かしつけながらスマホで注文しようとしたら、スマホ握りしめて睡魔に負けて寝てる自分。
はぁーイラつくわ~ほんと最悪!と思いますよね。がっかりですよ。
嫌なことですね。

翌日時間ができたので改めてパソコンを開いてみたら、買おうと思っていたアレがタイムセールになってる。
やったラッキー!超ツイてる~!と思う。
良いことですね。

ね、昨日買い物できなかったのが、突然ラッキーなできごとに変わる。
どーゆーことやねん!!でしょ。

そんな簡単に変わるんですよ、良いか悪いかなんて。

物事に良い悪いなんてないって、ヨガ哲学でも言ってますけどね。
大抵、自分にとっての快が良くて、不快が悪だってしてるってね。
聖者さんはお見通し。

 

じゃあどうやって手放せばいいのか

過去に囚われても仕方がない、なぜなら、、、っていう理屈はわかっていても。
なかなか、嫌な記憶って手放すことが難しい。

私にとって一番効果があったのは、

プライドを捨てること

事実を見ること

でした。

くだらないわほんと。

 

あのね、何を大事にそんなに抱えてきたかってね。

私やっと最近、そのことを、ここ数週間で笑えるようになったんです、アホだったなーって。

私、小学校の先生をやっていたのですけど、若い時にたくさん失敗したんです。

で、めっちゃ親御さんに文句も悪口も言われました。一旦嫌われると理不尽なことも言われ集団でも攻撃されました。

今考えれば、わかります。

自分の大切なわが子が、先生になりたてのツインテールのお姉ちゃんに担任されたら、そりゃ不安になりますわ。

クレームの電話が怖くて電話恐怖症になり、電話しなきゃいけない約束があったのに電話できなかったとか。

泣きながらお詫びしに伺って、子どもの前で泣いてまるで私が虐めてるみたいじゃないですかってさらに叱られたり。

怖くて親御さんに声をかけられないと、挨拶もしないって挨拶運動立ち上げられたり。

でもやっぱり、電話するって言ったんだから電話しなきゃいけなかったし、怖くても挨拶しなきゃいけなかった。
私も悪いよ。未熟だったな。

「先生に向いてないってみんな言ってますよ、辞めたらどうですか」

っていう言葉に、「みんなって何人ですか」と切り返したらそりゃさらに嫌われる。ちなみにみんなとは4,5人だそうです。

私がシャンプーしながら思い出して苦しんでいた記憶って、これです。

これですよ。(;´∀`)

アホだったなって、笑えるようになって、こんな失敗を、ブログにも書いてしまえるようになりましたわ。

若いもん、初めての仕事だもん、失敗するよ!

そしてだからこそ早めに異動できたし、
環境が変わってストレスが減って第1子妊娠したんだと思うし、
その流れがあって今ヨガとトークセンやってるし、
もしあのときあのことがなかったら、きっと今の大切な人たちのほとんどに出会えていない。

悪いことばっかり反芻するけど、あのとき盾になってくれた親御さんもいたし、励ましのお手紙をくれた親御さんもいた。
異動するときにはクラスの子どもたちが泣いてくれた。

ねぇほんと、アホでしょ。

でもやっと手放せたんだ。すごくラクになった。

言い訳や相手を責めることで自分を頑なに守るんじゃなくて、「考えてみたらアホだな自分!」って笑えることが、救いになった。

 

ただ、事実を見ること。

思いや感情や都合をジャブジャブ洗って落とした時に、残るもの。

 

出来事はただ起こる。

私たちは経験をするために生まれてくる。

 

トップの写真は、支笏湖。
先日突然行きたくなって。
湖水に触れたら、よくわからない心身のモヤモヤまで、いろいろラクになりました。

 

 

そして、こうして過去の見え方が変わったら、不思議な再会があったのです。
つづきは明日公開。

 

テキストのコピーはできません。