嬉しい氣づき

はあああ!と思ったこと。
わたし、消耗してないっ!

わたし、人と会うと疲れちゃうんです。
相手が悪いとかじゃ全然なくて、
わたしの問題です。
エネルギーの減りが速くなる。
余計なことをたくさん氣にしているんだと思います。

例にもれず、ボディワークの公認講座2日間も、
ワークで疲れるわ、
人との距離は近いわ(密です)、
結構氣合いを入れていくんだけど、
そういえば、最近、全然疲れてないわ。
純粋にワークで疲れてる。体が疲れた感じじゃないのに、脳が閉店のお知らせしてくる。
いわば『ほたるの光』が何時間もかかる状態で、
そういうときに限って講師ハマさんは「楽し~い!」と盛り上がってずっと喋っている。
、、、楽しいですよ。

人様とそういう感じで接するときが来るなんて。
慣れたのか?慣れとも違う氣がする。
もうやめたい、そう思ったこともあった。
休んでまた再開したらいい、他でも学べるかもしれない、
そう思ったこともあった。
片道40分のドライブも好きではないし
当たり屋事件以来、運転はすごく消耗する、マシにはなったけど
土日まるまる出かけるなんて、家族との休日の時間はどうなんだろう。
夫も実は迷惑しているのか?
子どもたちは寂しい思いをしているのか?
すぐには形にならないものに、お金と時間をつぎ込むほどの価値はあるのか?
そして、長時間、人と会うの、疲れるでしょう?

でも結局、続けていて。
自分のことを知っていくのが楽しくて。
シンプルな理がある、その理を知るのが楽しくて。
楽しい、それひとつに、やらない理由が全部負けて、続けている。

 

ドライブは成功体験を積んで少しずつ癒されている。
夫は全然迷惑してない。むしろわたしが好きにする分、夫も好きにできる。
子どもたちは好きなように過ごしているし、末っ子は会っている時間に甘え放題。
すぐに学んだ結果を出すことが目的ではないし、
わたしの最低収入目標は自分の学び代でマイナスにならないこと、そんなに難しくはない。
仲間のことも知っていくのも楽しい。
こんなこと学び続けるのは、普通の人じゃないから、
怖がらなくていいんだ(普通の人が怖いって意味不明ですね)。

やらない理由なんて、小さいわ。

やれない理由があるのなら、それをどうにかしたらいいだけだ。
すぐにはどうにかならないこともあるのかもしれない

やらない理由が勝つのなら、それはそれでいいんだと思う。

わたしがそうやって見送ってきた『やりたかったかもしれないこと』って、

振り返れば、しなくてよかったから。

それに、見送ってしまったことは心をチクリと刺すことによって、

また別の役目を担ってくれているんじゃないかな。

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