「よろしく」
お願いするときや、初対面のときに、とりあえず言っとけワードだ。
わたしはこの言葉が好きではなかった、ついさっきまで。
よろしくお願いいたします、とか、
よろしくお伝えください、とか、
よろしくって何だ?と思っていた。
でも、『よい』じゃなくて、『よろし』なんだね!よろしくしてください、なんだね!
相手の裁量に任せるんだ。はぁ、初めて知った。
特に決まりがなくたって良いようにしてくれるでしょうという、それが日本語にあるということだ。
日本人的な考え方であれば、某回転寿司屋の何たらみたいなことは起こり得ない(あれもまあいろんな思惑があるようなないような話を聞くけど)。
でも何となくよろしくしようとするから、正しいとは思わなくても周りの様子を見て合わせる、も起こる、のか。
言葉にはそれを使う民族性が出る。
いや、その言葉を使うからそういう民族になるのか?
そして言葉の崩壊が民族の終わりに繋がる意味が、わかった氣がする。
その土地を支配したければその地域の言葉の使用を禁止し、自国の言葉を使わせる、それはそういう意味か。
他言語は、他の考えや感覚や情報を得ることができる便利さの一方で、支配の道具にもなる。
日本はなぜ英語を学ぶのだろう。日本語の使用は禁止されていないけれど、戦後変わった部分もあるよな…。
そうであれば、言葉の力というのは、思っているよりあるということだ。
ハッ、話がぶっ飛んだ!😅
使う言葉の意味をわかって使っているのか
…そしてその言葉を丁寧に使うことができているのか。
正しい言葉づかい、というより、思いを乗せられているかってこと。
わたしが「よろしく」に感じる違和感は、
そこに思いを感じられない、乗せられない、というところにあったようだ。
謎の言葉「よろしく」のせいではなく、自分のせいだ。
まだまだ知らない言葉があるよなぁ。