何か悶々として変わりたくて
いろんな話を聞いたり読んだり
何か新しいことを始めたりするとする。
そして何か響くものを「これだ」ってキャッチした、
、、、ような気になる。
でもそれは 自分にとって心地良いものだから響いたんだと思う。
一見ショックなハッとするような、心地よくなさそうなことだとしても。
今の自分がキャッチしたということは、やはり都合がいいだけだ。
今の自分だから響くこと。
周波数、振動数、の話にするとわかりやすいかもしれない。
共振、ね。
テーブルの上に、
100Hz の固有振動数を持つ物体Aと、
110Hz の固有振動数を持つ物体Bと、
120Hz の固有振動数を持つ物体Cを置き、
テーブルの足に 110Hz の振動を与えると、
物体Bだけが振動を始める
(引用元 わかりやすい高校物理の部屋)
所詮自分の枠の中ってこと。
てことは、
今の自分を強めることあっても
先に進んだことにならない。
だから
コンフォートゾーンを広げていくことが必要で
そしてそれは『自分一人ではできない』。
じゃあどうしたらいいかっていうと、
馴染みのないことをしたり、
ただ言われたことをやってみることだったり、
誰かに導いてもらったりすることが必要。
これらを、ずっと聞いてはいたんだけど、意味がよくわからないままだった。
あとは、自分以外の人の思いや考えを知ること。
でもこれは結局読むとか聞くとかでインプットするのは自分だから、受け取り方はやはり偏る。
だから、動くこと、感覚を取りに行くことのほうが、
大脳を介さない入力なので
余計な自分フィルターがかからないんだろうな。
それなら小脳さんに学習させるボディワーク最強。
ボディワーク以外なら、
さっきの、馴染みのない行動、ただやる、導いてもらう。
無意識領域が変わることが必要なのかぁ。
意識的に変えるっていうのは、本質的には変わってないからな。
意識して変えないと変わらない、っていうことは、氣を抜いたら元通りなんだもの。
それって変わってないよね?
良い姿勢を保とうとして変なところに力を入れているのと同じで。
その良い姿勢っていうのが、誰かが思い込んで刷り込んだ『良い姿勢』だし
ボディワークやったら、何も意識していないのに変わる。
しかも、全員が同じ形にはならないけど、今のその人のベストにはなる。
頭で最善を考えて、こうしようと思ったって、それって変わってなくて、
しかも実はトンチンカンである確率も高くて
それがわたし頑張ってるのになんで苦しいんだろうと思うやつ
でも
身体が健やかであれば
そこから自然とうまれる言動は
最善であり本物であり自分にフィットしたものになる。
そういうことか、
と、ひとり肚落ちした夜中。
読んでる人がわかってくれないかもしれない件
めっちゃ大事なことかもしれない。