感想、クレーム、フィードバック。

成長はフィードバックあってこそ。

と、思いませんか。

感想とクレームとフィードバックって、必ずしも同じではなくて。

わたしは、

良いことも悪いことも(良い悪いというと語弊はあるが)伝えてくれるのがいいなって思う。

 

自分の感情のためではなくて、相手やお互いにとってより良い、のために伝える。

そういうのって、日常の中にどれくらいあるだろう。

  

ただただ褒められても、なんかきもち悪い。

といっても、もしかしたら本当に褒めるところしかなかったのかもしれないけど。

わたしは、

よりよくできるところはなかったか、って、考える癖があるらしい。

そう気づいたのは、教育実習のときだ。

冷静に、自分の授業の改善点を出していた。

何かのイベントやなんかのあとも、

周りが おつかれさーん!よかったねー! って盛り上がっていても

ここはもっとこうできたかな、とか、

冷めて考えている自分がいて、めんどくさい。

 

でも、

いわゆる悪いところ、を伝えてくれるときって、

相手が感情的になっていることが多くて、

わたしも素直に受け取れないことが多かった。

夫婦喧嘩とかもそうよね。感情的に伝えていたクチです。。。

 

とはいえ、

今思い返せば、

あの時あの人の言ってくれたことは、

わたしを思って伝えてくれたことだったんだなっていうのもある。

新卒から3年目くらいまで。

何でもただの否定や攻撃に聞こえて受け取れなかった、当時。

 

それと、

より良い、のためには、

悪かったこと足りないことの指摘だけでなく、

何が良かったかっていう点から伝えるのも大事。

そんなことに気づいたのは、何を隠そう、ついさっき。

 

今のわたしはこう思う。

わたしは自分で改善点を出すことも得意だけど、

やっぱり自分だけでは見えていないところはあって、

それを伝えてくれる人や出来事は、

本当にありがたい。

 

自分の感情や、打算的な目的で何かを伝えるのではなく、

自分や相手のより良い、

を、ただただ思って伝えられる、

そんな関係をわたしは大切にしたい。

 

そういう人と付き合っていきたい。

 

インプットして、アウトプットして、それに対するインプットが大事、

っていうことはよくわかっていて、

でもそれって、

受け取る側も発する側も、人としての成熟が必要なんじゃないかって思う。

 

信頼できない人から何か言われたって、

上手に受け取ることができなさそうだし。

しょーもないクレームに耳を傾けて病むのも嫌だし。

でも、

信頼できていなくても有益なこと言ってくれてたって場合もあるし。
新卒のときみたいに。

自分の感情で「こいつの話は聞かん」なんて思うのもな~。
都合のいいことしか耳に入らなくなる。

この人の言うことなら耳が痛いことでも聞こう、って決めればいいのかな?

そうじゃないと、我が道を行きすぎて破滅の道を進むことだってある。
と、ある親子関係を見ていて思っちゃって。息子の言うこと少しも聞かんのね。

というのが今のわたし。

 

この人に言われたことなら聞く耳もつわ、

そう思える人間関係、

いくつありますか?

この分野に関してなら、っていうのはあるよねきっと。
仕事の指摘なら聞けるけど、夫婦のパートナーシップについては参考にすらならん、みたいな。

ヨガで言うグルみたいに、絶対の存在なんてわたしにはいないし、、、
グルでも異性関係にはだらしなかった人がいるって説も聞いたことあるけど、そんな人でも尊敬するのか。
わたしは望みが高すぎるのか。

この分野に関してはこの人の話は聞こう、っていうのは、あります。

でも例えばね、生き方や働き方、人間関係、そういう内容って、

その人の生き方や働き方や人間関係の状態がステキだなって思えないと、

そうは言われてもねぇって、思う。

しかし、自分にないものを聞くためには、好きな人からだけ聞いてもしょうがないでしょ。。。

ああ、迷子。

 

わたしのなかでも、

まとまらない話題です、これは。

感情に流されない、ことが大事かなと。

 

ミスドのピカチュウは、出始めの頃よりずっと上手になってる。フィードバックのおかげか。

というわけで、

結論ってないんですけど、

フィードバック、

するの得意ですか?

素直に受け取ることができますか?

有益なフィードバックについて、あなたはどう思いますか?

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