死んだら終わりとは思わない個人的理由

わたし、魂はあると思ってます。

それは自分の経験からです。

怖い話が苦手な人は読まないでください。

 

小学生のときに親切にされる

小学生の頃、夏休みに、お寺にお参りに行くときに、

忘れ物を取りに帰らされたことがあって。

小さなお塔婆をね。
肝試しかよ。。。昼間だけど怖い

それで、お寺のある山から親戚の家に戻ったはいいものの、

お寺への道がよくわからない。
だって年に一度行くかどうかの室蘭の小さな町、輪西町。
わたしはここの生まれです。
記憶ないけど。

道の途中で困っていると、後ろから服を引っ張られた。

誰だろ、と思って左から振り返ると、、

その左にお寺の屋根が見えて、
どうやら道を一本間違えた

そして、、どこにも人はいない。

こわ!こっわ!ありがとうございます!誰?おじいちゃん?こわー!

と、お寺まで走りましたよね。

 

高校生のときに触ってしまう

高校生のときには、

夜寝てるときに、お寺の夢を見て、

息苦しそうな呼吸音、

目が覚めるとベッドのパイプのあたりに手みたいな何かある、

目が悪いわたしはそれをつかんで近くで見ようと、、、

いやこれマジで腕だし!

呼吸音が続いている!

電気をつけたら消えました。

ちなみに、普通に柔らかく温かいです。

ポッチャリした女の人なら、お母さんのところに来る人と同じかも。

間違えてあんたのところに行ったのかもね、

って普通に言う母も怖いし、人違いで来る幽霊っているのか。

 

死んだ父に怒鳴られる

魂があることの確信は、

父の亡くなったときです。

意識がなくなって、呼吸も顎が上がるようになって、

そんなとき、

お昼寝中の保育園児の息子もそろそろ起こそうとしたら、

ゆすっても叩いても起きない。

わたしの心の中で「うるせえなちょっと待て」と父が言っている気がする。

いやそんなわけない。

でもそっとしてみる。

しばらくして目を覚ました息子は

「じいじとお出かけしてた。いろんなところに連れて行ってくれて、いろいろ買ってくれた。楽しかった」

と言うのです。

へぇぇぇ。変なところには連れて行かないでよね、怖いから。。。

きわめつけはその夜です。

斎場で疲れ切って寝ていたわたしは

「ばあさんと線香番代われ!」

と父に怒鳴られて飛び起きます。

母には羨ましがられました。わたしには来てくれない、と。

わたしは来てほしくない。さっきから通信してきて困る

しかし死んでも怒鳴るかこの人は!

病気だと声も出ないほど弱っていたのに、

死んだら元気になってる。

命の終わりを意識したら大人しくなるものかと思っていたけど、

単にパワーがなかっただけなんだな!

ていうか、線香いいからみんな寝ろとは言わないのが父らしい。

こういうときの聞こえるって、

耳からの音じゃなくて、

直接心の中に語りかけています、ってやつ。

ほんとそれな、って思う。

それでも怒鳴るとか音量調整できるもんなんだな。

 

 

父の亡くなったのを見たのが一番、

肉体は魂の入れ物、

って腑に落ちたな。

空っぽだった。

肉体は魂の入れ物、って、ヨガ哲学の講座で聞いたばっかりでね。

ほんとだ、って思った。

魂って、あるんだな。

カラダって、その人じゃないんだ。

そんなふうに、

大嫌いだった父が、

わたしにとって大切なことを教えてくれた。

 

魂はいつまでそこにあるのかわたしにはわからないけれど、

亡くなってしばらくはこっちがわの人にもわかると思う。

お盆のときなんかは、空気が変わるのわかった。

それと同時に当時赤ちゃんの末っ子がキョロキョロしてね。

最近はもうあんまりわからない。

年長だった息子はもう中2。

あの頃、ランドセルを背負った写真を早めに撮って見せたんだった。

 

 

これがすべてでもないのですが
まだあるんかい

そういう経験があるのでわたしは、

魂というのはあると思うし、

肉体だけがすべてではないと思っています。

 

だからこそ、

肉体へのメンテナンスは大切だけど、

精神面へのケアはもっと大事なんじゃないかと思っているのです。

肉体は乗り物。

魂が本体。

 

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