わたし、今日が今までの人生でいちばんポジティブだと思う。
外部でレッスンをしたくて、申し込んでみたのだけど、見事に不採用だった。
ボディワークについて伝わり切らなかった自信がある。
伝わったとしても、その必要性を理解してもらえなかった。
そして、商品としてのニーズの薄さ。お客さんへのわかりづらさ。
だってまず必要性に気づくところからだものね。もともと求められているのではなくて。
そもそものわたしの態度の問題?なら気づけないなぁ、それなら改善のために教えてほしかったんだけど泣
でもまあ結局、お話しした方とわたしとの不思議なズレ感や、
そもそもどういう前提で生きているかというズレポイントがありすぎた。
いやこれが普通の、世間一般の人、企業よね。忘れてた。普通だし、わたしと違っただけ。
ボディワークしたらラクになるのになぁ笑
仕事として考えたときの待遇を考えると、
結果的に良かったなと思っている。
それはいいのよ。
話はここから。
前は、何かできなかったことを人に話すなんて避けてたし、
言ったらざまあみろって思われるんじゃないかって、思ってた。
小学生のときに、いつも90点か100点を目指すわたしが、50点くらいだったときの焦り感を思い出した。こんなの人に見せられない、って隠そうとしたテスト用紙を、男子に無理矢理見られて泣いたっけ。
だけど、今回は、動き出す前から、考えていることを周囲に伝えていて、
なぜか乗り気じゃないんだけどやってみようと思う、とまで、一部の人には言ってた
不採用だったわーって言った。
ざまあみろなんて言われたか?
全然そんなことない。
そういう人もいるかもしれないけどどーでもいいなって。
そして、
人として駄目なんじゃないかって落ち込むのがパターンなはずなのに、
次どうしようかなって考えてる。
きっともっといい方法があるんだな~、って。
そこに無理がない。
そういうふうになれたらいいなと思っていた。
もともとの性格か、意識して持っていかなきゃなれないと思っていた。
そうなれるように努力が必要だと。
ほら、ポジティブに行くよ!みたいな。
憧れるなぁ。
ところが、今日。
勝手にそうなってるわ。
しかも、ポジティブに行くよ!っていうような気合もなしに。
あれ?変わってる、わたし。
何かしたっけ?
ボディワークだよな…えー、うそー。そこまで?
講座で学ぶのは3年目だけど、その前から、やってはいる。
少しずつ、少しずつ、だから気づけない変化もある。
むしろ気づけないもののほうが多いのかもしれない。
でも確実に変わっていて、
ふとしたきっかけで、こうして「え?」って気づくのかもな。
1滴1滴が、貯まっていた、と。
カラダを変えると精神が変わる。
要らないものが削ぎ落ちて生きやすくなる。
こんなに変わるなんて。
そして、小さな小さな前進を、続けてよかった。
やめようと思った日もあったよ。
面倒だなと思ったり、意味あるのかなって思ったりね。
そして、一緒に学ぶ仲間の存在かなぁ。
人に対する感覚が変わったのは。
人間って嫌なヤツじゃないかもって笑。
どんだけ人間不信なんだ。雨に濡れた人間不信の犬みたいって言われたことある。
ボディワークを始めて、
体を動かすと記憶が出てきて、
どうしようもない過去に寂しさが溢れて
抱きしめてもらいながらわんわん泣いて、
親のせいだ、誰のせいだ、って言って、
でも、ひとつひとつ、課題が出てくるたびに、やり終えて行った。
カラダの課題と、生活、人生の課題。
こんなことできない、と思うこともやった。
すぐにはできなくても、時が満ちると、動けた。
一番勇気が必要で時間がかかったのが、一度しか見たことのない父に手紙を出すことだった。
やれば、結果が出た。
欲しかった結果ではないことがほとんど。
甘く優しいものばかりではない。
だからこそ現実、事実が見えた。
それを見て、次に進んだ。
わたし、進んだな。
人って、変わるんだな。
憧れだったような人にでも。
動き出せない。体力と氣力がほしい。
そう言うわたしに
先生は言ったっけ。
「それはそのうちついてくる」
すぐ変わりたいんだけどなー、げぇぇ、って思ったよあの日。
わたし、動けるようになってる。
朝から嬉し泣き。
泣く理由が変態的。笑
そしてこんな微細な変化を積み上げるものを、
それでも魅力があると、一般の人にどう説明して伝えろと?
経験を語るしか、ない…
グループレッスンなら、そんなにガッツリ向き合わなくても、ただカラダのラクさを感じられればいいし、のんびり進めるから、良いと思うんだけどなー!
でもさー、すぐ変わりたいんなけどなー、げぇぇ、って思うよね!
そうなんだけどさ、何十年もかけて作ってきたものを、すぐに変えられるもんかね。