わたしが助けなくちゃこの人は救われない、って思う人は、、

こんなことを言ってはいけないのかもしれないが

わたしにはずっと理解できない人のタイプがある。
特定の人ではなくてタイプ。

人を癒す仕事をしているのに本人が黒いとか、澄んでいない感じのタイプ。

人を助けるシゴトをしているのに、なぜ本人が幸せそうじゃないんだ問題。
幸せそうに見せているけど。

今日はちょっとブラックなので、

爽やかな話だけ読みたい人はここで離脱してください。

 

それは

問題を抱えている人や

かわいそうな人を見つけては

わたしのところにいらっしゃい解決してあげましょうと

そういう空気を纏っている人。

なのにその本人に、安定感を感じられない。

そういう方はヨガやスピ界隈には確かに居られる。

人の悩むのを見つけた途端に
これはわたしの出番が来たわみたいな
目がギラっとする感じ。
好物キターな感じ。。。
そして取り巻きもいる。崇拝に近い。簡単に言うと依存。
依存させることが相手のためになるのだろうか?
それって自分の承認欲求や商売のためじゃないか?
あ、これって宗教ビジネス?

 

わたしも

人を癒すことをひとつのシゴトとしているので

同業と言えば同業なのだが

違和感しか感じられないのは何故なのか。

このご本人自体が救われていないと感じる。という違和感。

なぜそんなことを感じるのか。

ずっとわからなかったのだけれど、

昨日、わかった。
ある本を読んでいて。

 

「わたしが救ってあげなきゃこの人は救われない」

そんな雰囲気をかもしだしているということは。

その相手は自身の力でその自身を救うことができるんだということが、

そこにはないのである。

意味わかる?
精神的な問題の話ですよ。そりゃ溺れていたらどうにか助けようとしますけど。

 

自分で前に進んで行く力があなたにあるよ、

って、言ってないの。

わたしが助けてあげなきゃあなたはダメなのね、

って言ってるの。

これ、親だったらどう?
あなたはママが居なきゃダメなのね!手伝ってあげるわ!
そしてそれがママにママの存在価値を感じさせてくれるのね。
子どもに生きる力がつくかはともかく。
あわわわわわ。
そもそもこのお母さんが安定してないってやーつ!
だから子どもを救う風の行動で埋めようとする。

 

そして、

『自分で自分のことは救えません』

そんな前提があるなら、

『その人もその人自身を救えない』

ああ確かにそういう人ってなんかのセラピーとか何とかいろいろ行ってるかも。。。
じゃあその人の提供しているものは一体。。。

 

『自分自身のことも救えない方法を他人に提供するのだろうか。』

 

わたしが感じていた違和感は、これだ。

  

人は確かに支え合って助け合って進んでいける。

でも自分の力を放棄して誰かに明け渡すことはしなくていい。

そんなところを外注しなくていい。

病気と同じだ、症状が出たらその症状ばっかり見てても何の意味もない。

先生早くこの症状止めて!じゃないんだよ。

そのタイミングこそ、自分と向き合うとき。

誰かのペースじゃなくて自分で。

感じる、ことは自分でしかできないから。

 

師匠や先生やガイドとは、意味が違う。

自分の力で立ちなさいと導くのと、

助けてあげることに喜びを感じるのが目的なのは違う。

相手が必要だと自覚してからそれを伝えるのと、

何かを片づけたくて手を出すのとは違う。

 

そして、

わたしだってまだこんなに不完全なのに、

人様に何ができるだろうと、

ときどき
いやしょっちゅう
不安になる。

だけどわたしは、

過去の自分に比べたら今は全然違うし、

今もこれからも、楽しく生きていくためのツールとして

ヨガとボディワークとトークセンは使い続けていく。

楽しいし役に立つから続けてる

 

こんなことを書くのは、

別に誰かを批判したいからじゃなくて、

わたしの生き方のパターン2や3を見せてもらえたなぁと思ったから。

ちやほやされる働き方もある、けど、わたしは要らないな。

もっとあざとくも生きられる、けど、わたしはしたくないな。

もっとお金中心に生きることもできる、けど、ないわー。

じゃあどうしていこうか?って選択していく材料やヒントを、

こうしていつも現実世界として見せてもらえる。

知ってることからしか、選べないから。
おっと、これってボディワークの話になるよ!
知ってる感覚や動きしか選べないから、たくさん経験する。

人の動きを見るだけでも学習になるんだよ。

 

わたしは変わらず伝え続ける。

もし何かうまくいかなくても、あなたの中にちゃんと力はあって、使い方を知らないだけ。

そして、自分にもいつもそう思ってる。

ボディワークの経験が、それを間違いなく伝えてくれる。

 

一方で、一番最初に書いたような人の面が、わたしにもあるということ。

あるから見えるんだもの。

そうならないようにしよう、って思うんだから、あるのよ。

そのうち、気にもならなくなるでしょう。

 

わたしが読んだ本 2から読んでも理解できます。
2から読んじゃった!2の方が面白いんじゃないかと思う。
〈からだ〉の声を聞きなさい2 リズ・ブルボー

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