強くて悩みがなくていつも明るい人っていいなぁと思う。
まぶしくて憧れる。
わたしなんて弱ったり悩んだり落ち込んだりする。
すぐ弱る自分を何とかしたい。
この悩みを何とかしたい。
すぐ落ち込むのを何とかしたい。
と、思う人、わたしも含めてですが、
まあ、すぐには、変わらんと思いますよ。
残念なお知らせですが。
基本的スペックですから。
ただ、わたしは、
カラダの学びを重ねるうえで、沼から這い上がることは上手になった。
前よりはね。
まぶしい人にはまぶしい人なりに良いところがある。
繊細さんも良いところがある。
どっちにもそれぞれデメリットもある。
それでいいんじゃないかな。
なんでこんなんなるかなー自分、って思いつつ、
一方で思ったんです、
でもその分、氣付きが多いんだろうなって。
考えるから、深みが出る。
それを発信するから、他の人も氣づきが得られる。
感じるから、共感して寄り添える。
世の中の酷さにも氣づくけれど、周りの人が優しいことにも氣づく。
「考えてみたらうちの家族みんな、優しいなぁ」って、涙目になりながら、
こんなこと氣づくのって、悩んでるからこそだなって。
ええ、ちょっと疲れてました。
大雑把に生きられたらラクなんだろうけれど、
もっと目の細かい粒々の世界で生きている。
解像度、といえばいいのかもしれない。
それに良い悪いもなくて。
揺らぎやすいかもしれないけれど、
戻る場所を見失わなければいいのかも。
戻る場所を見失わないためには、
軸となる考え方をもつとか、
休息を取るとか、
ひとりの時間をもつとか、
カラダのどこに働きかけるとラクになりやすいか、
自分なりに方法をもっておくといい。
自分は別人のようにはなれなくて、
でもこの自分をもっと上手に扱っていくことはできる。
それと、
これは繊細さんに限って有効な氣がするけれど、
『自分に意識を向けすぎないこと』
も、いいかも。
刺激の少ないお気に入りの場所で
外界を感じるというのはとても心地よい。
お日様のあたたかさ、風の音、鳥の声。
ぎゅーっと縮こまっていたのが、解放される。
そうだ、自分に入り込みすぎていた、世界は広いんだった、って。
外界、環境あっての、自分。
周りはどんどん変化していく。
そこで自分は、何をどう変えて対応していくのか。
周りが常に変化していくのに、
変わらない、
を選択するのは、
苦しいに決まっている。
しなやかに対応できるココロとカラダであること。
それはカラダからアプローチするのが早い。