さて、今日は、いわゆる不思議ちゃん系のおはなし。
忘れていたけれど、
子どもの頃、不思議な感覚があった。
思い出した。
幼児のときの感覚。
眠りにつくときや、眠っているとき、よく襲われる感覚があった。
身体のなかがとても重く詰まっている感じ。
身体の外側、表面。それと内側。別のものなの。
卵の殻と中身、みたいな感じに似ているけれど違う。
同じ夢でときどきやってくる何かは、とても重低音で、それが響く。
怖かった。怖い、というか、畏れの方に近い。
同じ感覚が昨日、やってきた。
朝起きてぼんやりしているとき。
自分はどんなふうに最期を迎えるのかな、って考えていた。
そのときの身体の感覚はどうなのかな。
って意識をふわふわさせていたとき。
身体の中にものすごい質量みたいなものを感じた。
現実的に科学的に、という質量でなく。
もんのすごい、ギュッと、身体に押し込められているものを感じた。
身体の表面は柔らかく丈夫な殻で。
中に、詰まっているのとは違って、
凝縮、圧縮、うーん、何とも言えない、
次元が違うってやつなのかな。
ああ、これが身体の外に解放されるのが、死なのか。
ぱぁっと広がるんだ。
と、思った。
そして、人間五層説、が頭に浮かんだ。
五臓説ともいうみたい。パンチャコーシャ。
人は五つの層でできている。
外側から、
食物鞘:肉体の層。食物から形成される。
生気鞘:エネルギー(プラーナ)で形成される。プラーナは呼吸によって体内に取り込まれる。肉体と心の架け橋はここ。
意思鞘:感情、心。外からの刺激に反応する。
理智鞘:認知や知的判断。起きたことを意識を使って判断する。
歓喜鞘:魂、記憶の貯蔵、無意識
歓喜鞘の最深部には、プルシャ、純粋意識がある。宇宙、生命全体と繋がる。
わたしが感じたのはどの層なのか、全部なのか、わからないけれど、
不思議な、でも怖くなくて、幸せな、感覚だった。
五層って、学んだだけなら、ふわっと包むイメージをしていたけれど、
もっと、ギュッとなってるんだな。
そりゃそうか。
人は、いろんな記憶や、カルマや、可能性を、もっているんだな。
ものすごーく、たくさんの。限りない。