家事の負担にキレていたれいこです。
ブログを読みに来てくださりありがとうございます。
ニッチなファンがいてびっくりします。
前回は家族が家事をしないことに腹を立てていました。
なぜ母親だけが負担感を大きく感じてしまうのか、家族それぞれが家事をするべき理由について書きました。
家事の問題は表面的なものでしかない
でね、それを家族にそのまま伝えりゃ解決するんじゃないか?
いっそのこと放棄してはどうか?
サービスを買えばどうか?
いろいろ方法はあるわけです。
家族に伝える、これは、もう何度、やったことか。
伝え方が悪いのかなって自分のきもちを改めて整理したのだけど、
それに対する反響が思ったよりあって、
ああ、他人にこれほど伝わるってことは、もしかして、私の伝え方の問題ではないのかもしれない。
と思った。
家事サポートとかしてもらえば目の前の問題は解決する。
しかし私がしたいのは、そういうことじゃない。
それではきっと形を変えてまた問題が出てくる。
わかりあえないことを諦めて、そのまま単純な解決だけしていくと、
これから先ずっと一緒に生きていくのに、また問題にぶつかるだろうと。
私が何とかしたいのは、もちろん家事の負担感でもあるけれど、
困ったときの解決方法がないっていうこと。
基本的に話し合うということなんだけど、そこがうまくいっていない感。
なぜこんなにも伝わらず、相手の考えていることもわからないのか。
そしてもしそこが解決できたなら、今後どんな問題が降ってきても大丈夫じゃないか。
そこで、読んでいた本がこれですよ。
他者と働く「わかりあえなさ」から始める組織論
宇田川元一 著
これはですね、
コミュニケーションについての本なんです。
会社の関係性の問題は 家庭にも応用できる
お互いの意見が違うとき、
どのようにして進んでいくか。
例えば会社で新しいプロジェクトを提案をしたときに、マイナスのことばかり言われて承認されない。
「前例がない」→それはですね、と説明すると、
「リスクがある」→それについてはこういう対策を、、
「それをやる意味があるのか」→それはこうで、、
「時期尚早」などなど、もう何なの(;´Д`)って。
一つ一つに丁寧に答えたとしても、次々にとにかく否定される状況。
さて、それは、プロジェクトが有効なものでないからなのか?説明するのが上手でないからなのか?
魅力や正しさを伝えることができたら、認められるのか?
いや、問題はそこではない。
相手はなぜ否定するんだろう。
新しいことに対応するのが面倒くさい、責任を取りたくない、上司からの圧力がある、個人的に良くても立場的にやっかい、
何かしらそういう背景がある。
私と同じ立ち位置ではないところから、見ているのだ。
家事で言えば、
私は困るので家事を共有したいけれど、
家族にしてみれば、それはただ負担が増えることでしかない。
面倒。できればやりたくない。
だから、私がどんなに論理的に説明しようと、あっさり受け入れることはないのである。
今まで何度も説明しているのに、どうして理解してもらえないんだろうって思っていたけど、
これって、家族にとってのメリットが感じられないから動かないっていうこと。
だってほら、私がキレたらやるもの。
私にキレられるといろいろ困るので、やるわけでしょ。
言われたことやればとりあえず叱られない状況と、面倒で放置してラクする状況、天秤にかけてるよね。
この本では、
まず私と相手に溝があることに気づき、
そこに橋を架ける、という方法について説明されているの。
相手との関係性が、「私とそれ」になっていないか。
道具的な対応を求めていないか。
相手も同じように人である「私とあなた」の関係性になれているか。
私とあなた、になるには、相手にもナラティブ(物語)があることを理解する。
この本の例えでは、営業部門の人が契約内容に問題がある契約をしてきて法務部門が苦労するというもの。
問題は、不備のある契約が多いということ。
そこで「一生懸命やってるのにうるさいな」というのと「何でちゃんとやらないんだ」っていう衝突があり。
でも営業にしてみれば、数字を出すことが大切。
正しい契約になるよう気をつけても数字は変わらない。
契約をチェックする法務にしてみたら、まともに契約もできないのかと腹立たしい。
これを法務が何度「ちゃんとチェックしてください」と言おうが、変わらないでしょう。
お互いの優先事項が違うから。
では、どうするか?
相手のナラティブの中に立ってみたら、こちらのことはどう見えるのか。
こちらのナラティブに入ってきてもらうのはどうしたらいいのか。
先の例では、新入社員は、まず法務部門に入り、書類のチェックをする仕事から始めたそう。
営業からきた書類を法務でどのように対応していくのか、営業の仕事がどうやって会社の成果になるのか、
それがわかってから営業の仕事をすると、改善されたのだと。
そりゃそうですよね。
視点が変わるから。相手の視点がわかるし、その行為が自分にとってどんなメリットがあるのかも見える。
「ちゃんとルール守れよ!」って言うだけよりずっといい。なぜそうしたほうがいいのか納得できるのだもの。
さて、それをウチの家事問題に置き換えると、
「ちゃんと家事しろよ!」って言っても、私がなぜこんなに困っているのかも、自分の働きにどんなメリットがあるのかも、
わからないわけよ。
そうそう、私がなぜ炒めものの時にフライパン周りに油はね防止のアルミを立てるのか、
夫には理解できないらしく、何度言っても周りに飛び散らせていたのだけど、
しかもそれで「俺は飯を作った」という気分になられることの腹立たしさよ
良い鍋を買って手入れを夫にもしてもらうようになったら、
油はねがやっかいで後で面倒なことになるって実感したらしい。
周りの鍋も汚れるしガラストップだって拭く範囲が増える。
だから油はねを防止する。でも後始末をしない人には、油はね防止のための手間が面倒だからしない。
ねえそれ誰が後始末するの?私よね?私のことを考えてないですよね?ってナラティブの溝どころではない別の溝が。。。
こんなふうに、炒めものの前には鍋をしまうかアルミパネルを立てるかする、ということひとつにしても、
実感してもらわないと伝わらないってうね。。。
四の五の言わずまずやってもらう、っていうのがまずひとつね。
そう、まずひとつ。
このわかりあえなさを、家庭内ではどうしていくか、まだ続きます。
面白かった、この本。