北海道の桜も終わってしまったな~。
今は緑がきれいな季節です。
退職してから、かつて上の子たちの保育園の送迎で通った道路を通った時、私は泣きました。
この通りはこんなに緑が美しかったんだ。私何も気づいていなかった。って。
人間にとって当たり前の子育てが、どうして辛いの?
子育ては人間にとって当たり前なのに、どうして辛いのか?
心も、身体も。
私は、そこのところを、まず自分を何とかしようとしてきました。
肩こり腰痛で整骨院に通い、胸の苦しさで循環器科へ行ったら 心療内科に回されパニック障害だと言われた過去。仕事と家事育児と親の体調不良や死で、もうどれが原因かわからない状態でウツになり休職退職した過去。
自分で身体を張ったライフワークですわ、もう。
今でも、乗り越えても乗り越えても問題は勃発するし、日によってはもうダメだと思っちゃう日も、正直、ある。
でもそのまま沈んでいかないようにはなった。
身体に関しては、特に、どうして子育てをして身体を傷めるのか?ずっと疑問でした。抱っこなんて特に。必要なことなのに。どうしたらもっと負担を少なくできるのか。
抱っこ紐の使い方が間違っているとかはありえます。ダラーンとなってしまっているの、あれ、間違いなく辛いです。
私が疑問に思ったのは、普通に、道具を使わずして抱っこやおんぶをするとか、家事をするとか、人間として普通にやるだろうことで身体が悲鳴をあげるって、おかしくないか?ということです。
原因の一つとしては、そもそもヒトは共同養育が基本だったのに、現代日本では核家族やワンオペ育児という状況であることのようです。母親となった人への、心理的・身体的負担が大きすぎる。
だからって、あ、そーなの、で解決するわけもなく。
じゃあどーすりゃいいんじゃ!ってこと。
救いはここに
古武術を生かした動作、整骨院の先生に教えてもらった立ち上がり方、それはたしかに有効です。
託児やサポートセンターや家事サポに頼る、これもありです。
だけどさ。
そもそもヒトとして、なんで、ラクな、身体に負担の少ない動きをできないわけ?
そこを改善できるのが、ヨガなんじゃないか。
最近確信に近いものがあります。
ただのポーズじゃなくて。伸びた、汗かいた、気持ちいい、のやつじゃなくて。動きの根本から改善していくヨガなら。
抱っこはこうしたらいい、っていうのじゃ足りないんです。抱っこの腕の使い方もそうだけど、そこに繋がる背骨、骨盤、脚、足だって。首や肩だって。結局、全身の問題で。全身を調整することが、楽な動作に繋がって、抱っこだけにフォーカスする必要はなくなる。
そして身体が変われば、心も変わる。極端な例を挙げれば、下を向いて浅い呼吸をしたときと、上を向いて深呼吸したとき、絶対気分は違います。絶対に。
上を向いて胸を開いて「ああもうダメ 詰んだ オワター」と思うのはなかなか難しいです。ネクラと言われたことのある私でも。
身体が整ったら、少なくとも余計な、身体から来るダークなのは出てきません。
私は今、そんなヨガを学ぶことが楽しくて。自分が変わっていくのが楽しくて。
できないと思っていたことが、ちょっとのきっかけでできるようになる。ちゃんと自分の身体が反応して良くなろうとする。
ちょっとスピリチュアルなことを付け加えれば、瞑想したら内面が変わると思っていたものが、身体が変わることでかなり加速された感も。
まず、自分!
最終的に私を救ってくれたのは
・トークセンとヨガ
・話ができる仲間
・助けを求められる仲間や師匠
・夫婦のパートナーシップをうまく構築するための対話
・そこへ辿り着くまでの自分の気持ちを自覚すること。
助けを求めるにも、自分の気持ちに気づくにも、対話をするにも、まず、自分が整っていなくては難しい。
何よりもまず、自分をととのえること。
心と身体を調整すること、必要であれば休むこと。
そんなの無理、とかじゃない。
無理してもそこはやること。
自分のこと、それくらい大事にしてあげてもいいんじゃない?