ときどき言われる言葉で
嫌な種類のやつってありますか?
あなたって〇〇よね、系の。
わたしはね
『真面目』
なんです。
どうしてかなって振り返ってみると
たぶん小学校や中学校の頃の年度末に作る文集で
クラスの〇〇な人ランキング
みたいなのを第3位くらいまで出すもので
今のご時世ならもうやらないと思いますが昭和だったんでね
わたしはたいてい
真面目、とか、頭がいい、とかに入ってて。
それがイヤだった。
明るい人とか、楽しい人とか、優しい人、おもしろい人、に憧れて。
わたしは絶対そっちじゃなかった。
真面目で頭がいいなんて、全然馴染んでないじゃない?
なんだか寂しかった。
でもね、あのランキングって、
必ず全員の名前が入るようにするなんて決まりはなかったと思うから
そもそも名前が出てこない人もいたかもしれない
そういうのが許された昭和の時代であることよ
高校生や大学生や社会人になってからも
何かトラブルがあると
「真面目すぎる」って言われてた氣がする。
真っ直ぐすぎるとか。
でも
そう言われたからって
はいそうですかと変えられるわけもない。
真面目にしようとしてやってるわけじゃないから。
本当に、うんざり。
そんな自分にね。
何かすごく間違っているらしいけど
どうしたらいいかがわからないなんて。
しかしだね
わたし先日
息子に同じこと言ったんです。
「ちょっとあんた真面目過ぎるよ」と。
高校入ってから心身ともにきついみたいで。
「そんなにきっちり頑張らなくてもいいんだよ。
手を抜いていいんだよ。」
すると息子は、手の抜き方がわからない、と言う。
めっちゃわかる!!
例えば時間も体力も限界なのに
バカ正直に苦手な数学の問題を自力オンリーで解かなくていいし
翌日提出なのに1問にどんだけ時間かけるの(*´Д`)
解答うつしてから再度取り組む時間があれば自力でやるとか、
という具体的方法を伝えると
「え、それでいいの?」と驚くのである。
そんなことしていいの?
いいんです!!!!
提出しなきゃいけないならとりあえず体裁ととのえて
実力つけたいならそのあとにもう一度、余裕のある時に丁寧にやればいい。
なーんてことを思い出して
あれれ?わたし、真面目すぎるって他者に言ってるじゃないか、と。
でも、全然悪い意味で使ってなかったな。
わたしが真面目過ぎるって言われるのは
翻訳すれば
「もっと力抜いていいよ、苦しまなくていいよ」
なのかなぁ、と思った。
きっちりやって素晴らしいけれど、それで苦しいのならそこまでしなくてもいい。
もっとうまいやり方があるんだから苦しまないで、って。
ずっと、責められてると思ってた。
もしかしたら、違うのかも。
真面目、っていう道具は、わたしを守るための武器だったから
それを手放せなんて言われることが攻撃に感じたのかも。
もう守る必要もないから手放していいんだけどね。
そのへんを紐解くととんでもなく長くなるので割愛。
そう考えたらさ
相手は優しい氣持ちで伝えてくれたのに
自分の過去の経験からのフィルターで
嫌な言葉として受け取るということは日常に普通にあるんだよね。
逆に、
自分が何気なく伝えた言葉が
相手のフィルターのせいなんだけどすごく傷つけているのかもしれない。
じゃあどうしたらいいか?
簡単な方法なら
やー、なんかそう言われると傷ついちゃうわー、って軽く言えばいい。
え?なんで?
ああ、そういう意味で取ったの?そんな意味で伝えたんじゃないんだよ~。
そっかー、それは嫌だったよね。
というコミュニケーションが取れるなら
なんてことないよね。
まあしっかり持ち帰って煮詰めてコテコテにしがちだけど。
それ、やめたらいいよね。
もし言えないような関係だったら
ま、いろんな考え方があるよね、でそこに置いておけたらいいかな。
この人とは違いすぎて、わかり合うのは、無理だな!しゃーない!って。
それも無理だったら「この生き物、なんか吠えてるわ」と思うことにしている。御免!
いつかわたしが未熟でなくなった暁には、ちゃんと聞きます!聞くかもしれない!
受け取る自分の問題だったら
いろんな要らないフィルターをすこしずつ剥がしていくような
心身の整え方をしていけばいい。
でも相手のフィルターはどうしようもない。
悶々としても自分のフィルターを変えようとしないなら。
それが、受け取りたいように受け取るってことだ。
なんてことを思った。
しっかしねー、高校の数学はもう教えられないって言ってるのに
いまだに聞いてくるんですよね…
え、何だっけこのUと逆さまのUって??ああ、集合?げぇぇ。
でも解説から読むとなんか理解できちゃうという、
わたし高校時代より理解力上がってるのかもしれない(記憶力と引き換えに)
数学が苦手すぎて学年の順位も下から数えた方が早かったワタシは
たぶんシグマとか微分積分とか出てきたらもう無理。