自分の肉体を含め周りの環境が変わり続けていく以上、例え過去にうまくいったものであっても前と同じ行動をし続けるのはエラーである。
ということは、生きるとは、変化し続けることである。
まあ確かに、自分の意思とは関係なく細胞は日々入れ替わり、少しずつ老化もし、経験も積まれていく。
ということは、変化できなくなったときが死である。
肉体的に生きていても精神的に死んでいる、というケースもあるのかもしれない。
いっぱいいるかも。。。精神的ゾンビ。
自分のエラーというのは目につく。わたしの場合。そういう人、わたしだけじゃないと思う。
あーあ、あんなことしちゃった、こんなこと言っちゃった、って。
自分、最悪だわ。なんて思うことがある。
でもそんなふうに、エラー=自分、なんていうふうに捉えることこそエラーなんじゃないか。
だって、どんどん変われるもの。
エラーは、ただの結果。しかも一時的な。
エラー、エラー、って言うけど。
間違いっていう感じではなくて。
ふさわしくなかったというか。
もっとやりようがあった。
もっとうまいこといく方法があった。
そこそこできてるようだけど、まあこれでもいいかもしれないけど、これが一番ってわけじゃない。
そんな感じ。
全然ダメだわってやつもあるけど。ワヤだべさよコレ!っていうの。
ワヤは方言。
何かを発明するときだって、一発で実験成功とはいかないもんな。
大きなものほどトライ&エラーの繰り返し。
諦めない限りは可能性は続く。
エラーして、
そっか、これじゃないんだ、ってわかって。
こうするからこうなったんだ、じゃあ次こうしてみよう。
そういう単純なことなんだな。
この実験失敗したわオレ最低、って何日も何年もクヨクヨする研究者とか居ないわな。
だいたいさ、研究者と、実験結果は、別モノだし。
もっとよくなる。わくわく。
ラクタノラボは、ラクにたのしく生きるの研究所っていう意味なの。サイコーだわ。降ってきたネーミングなだけあるわ。中国の会社に商標登録されたらどうしよう笑。
エラー=自分として捉えなくなることの副産物として、
エラー=他人、ともならないこと。
他人を責めて苦しむこともないです。
でもね、これ、じゃあそう思うようにします、じゃないのね。
そう思うことがデフォルトになる日が来るんですよ。
ほんと面白い。
ずっと努力してきて、臨界点を超えると、努力不要になる仕組みなのかな。
転びながら練習した自転車に、何も考えず乗れるようになったみたいに。
人生は巨大な実験場。
なんかこんなような言葉聞いたことあるけど何だっけ?
新芽が出て青々として枯れて散る。
夏に生きた虫たちは冬には死ぬものもいる。
自然は常に変化している。
人間世界もここ数年の変化は思ってもみない種類・規模だ。
またあの頃みたいに戻ったら
収束したら
そんなふうに過去に戻ろうとするなら、それは、、、
皆まで言うまい。
あるのは、今。そしてこれから。
変化し続けるココロとカラダを。
変化に耐えられるココロとカラダを。