人と繋がりたいのに削ってる?

SNSや人間関係を見直して縮小する

というのは

気持ちよく思われないことがあるのは何となくわかる。

だって、

削るんだもの。

自分だったら、そういうことで削られたとわかったら、

嬉しくはない、だろうな。

だけど、

削ってもいいと思う関係をダラダラと続けられるのも、

考えてみたら嫌だ。

しかも申し訳ないからとかいう理由で。

 

関係が切れることがなぜ嫌なのか、というのは

「自分には価値がない」

と言われたような気がするからだ。

でもそれは厳密に言えば違って

「今この関係性の優先順位が高くない」

というだけなんだと思う。

「わたしとあなたという組み合わせが今は重要ではない

ということ。

あるいは

「SNS上の繋がりに時間をかけたいと思わないけど、実際に会うのは嬉しい」

という場合もある。

多くの人が見ているオンラインという場では

伝えられる内容にも限りがある。

そんな気をつけなくてはいけない状況でやりとりするよりも、

個人的なメッセージや、会って話す方が、リラックスもできるし齟齬も減る。

 

そして、余裕がある人ならば削る必要なんてないのだと思う。

または、商売で利用する人ならば、広告代わりになるので削るなんてもったいない。

 

でも、

不器用だったりエネルギーが少なかったり忙しかったりするならば、

その上、内向型の性格ならば尚更、

SNSや人間関係を縮小するのはお勧めできる。

 

よく聞くのは、他者のキラキラ投稿を見て疲れてしまうっていう話。

わたしも、わからなくもない。

でも、親しい人になら、羨ましいと思う気持ちを吐露したり、

どうしたらそうなれるのかという話を聞かせてもらったり、

ちょっとした感想を伝えることで話が広がったり、

とっても有意義に使えると思う。

ただ、親しくなければ、それだけの情報の中で勝手な想像をし、

嫉妬やら劣等感やらモヤモヤしたものが出てくるのは、

まあ当然なんじゃないだろうか。

そう思うのも、思われるのも、わたしはもう嫌だ

だから、誰とでも簡単に繋がる場では、

当たり障りのないことや、読者を気持ちよくさせるような話しかしない方がいいのだろう。

という結論に至った、今のところ。

この時代では当たり前かもしれない。

 

だけどさー、

当たり障りなくて相手が気持ちよい話、しかできない関係は、

つまらないよ。

わたしはもっと聴きたいし話したい。

いやね、実は、会話、ってあんまり得意じゃない。

でも、楽しいと思えることはある。

自分と全然違う感覚や考えを聞けたり、

反対に、ものすごく共感したり。

どうして?っていうところを聞いていくと思わぬストーリーになっていたりね。

わたしはそういうのが好き。

そういう話ができる関係ならいくらでも欲しい~!

 

安心して話ができる関係は、あなたはいくつありますか?

わたしにとっての安心は、

勝手な想像で嫌な思いをしないっていうことが条件かと思う。

ん?と思ったら、それってどういう意味?ってお互いに聞けること。

ちょっと何か嫌な感じだなと思っても、

相手はわざと嫌な思いをさせるような人ではないという信頼があれば、

きっと自分の受け取り方が間違っているか、どこかで誤解があるはずだから、

相手の意図や言葉の意味、背景、を確かめることができる。

そしてそういう質問について、

変に圧をかけているわけでもないし、文句を言っているわけでもない、って、

相手も自分を信頼してくれている感じがあること。

つまりは、安心感って、何事も起こらないわけじゃなくて、

誤解や勘違いやすれ違いなんて常に起こっていて、

そうであることがお互いの前提、っていうこと。

 

それって、浅い繋がりでは説明も理解も難しいと思う。

正直、相手の経験や理解力、表現力なんかも関係してくる。

話し合いの末に何を求めているか、も違う。
お互いのことを知りたいのか、
違いを知って着地点を見つけたいのか、
自分の考えを押し通したいのか。

誰とでも仲良く、できるわけはない。

 

先日、安心して話ができる仲間とオンラインで話してね。

内容なんて、全然重要なことじゃなくて、日常のあれこれなんだけど。

みんなが同じ考えになってるわけじゃないし、

それってどういう意味?って気軽に聞けるし、

ときどきシーンとしても気まずいわけでもなく、

そうそう、こういうのがいいよな、って思った。

安心安全の場で話ができること、

かつて、そういう場を作って提供してきた仲間で。

だからこそ、自分たちも、こうして安心できる。

自分から誘うというのは結構ハードルが高くて、緊張した。
誰がお前なんかと話したいと思ってくれるのか?と脳内の小人が囁く。
これについてはまた別で書こうと思う。

 

安心安全のコミュニケーションの場づくり、

それに誘ったときにある人から言われたことがある。

「へっ、そんなの友達がいない人が行くところじゃん、ママ友とかいないの?」

いやー、それが違うんですね。

安心安全のコミュニケーションのため前提条件を確認して、その場にはその約束で参加する。

そんなママ友、多くはありません。

だってね、真剣にしている活動に対して、よく聞きもせず、

友達のいない人が行くところ、なんて、そういう言い方する人は、

もうダメだこりゃ。

その人はわたしを友達だと思っていたみたいだけど、

わたしはわりと困っていて
ときどき酷い言い方するわりに人生相談のメッセージ送ってくる病んでるタイプ

結局わたしから離れたからなぁ。
いろいろあった末、子ども同士でちょっと喧嘩したときに、
うちの子はギフテッドだから周りから理解されない、って言われてもう無理と思った。
わたしあなたのことも理解できないからあなたもギフテッドでは?とは言わなかった。
言ってたらヒグマみたいにキレられたと思うよ。ヒグマショーは見たくない。

確かに、友達がいない人が行くところ、かもしれないわ。

安心して付き合える友達がいないという自覚がある人。

 

わたし、そういうコミュニティも作りたいと思ってる。
ギフテッドのヒグマじゃない。そっちじゃない方。

そうして地域で活動している面もあるし

今後は子育て中のお母さんの安心できる場のひとつとして

広げていけたらとも思っている。

コミュニケーションの約束、も大事だけど、

受け取り解釈する自分が整っていることが一番大事だと思ってる。

ギフテッドヒグマも、あれは本人が悪いんじゃなくて、
何十年といろいろなズレを重ねてきた結果なんだろうと思う。

 



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