そうじゃないのにな。
と思うことがある。わりと。
それで、
そうじゃなくてね、
と説明するか、
はぁ、と思って終わるか、
それはそのときによる。
たとえばこのブログで書いていることも
知人が読んで
勝手に解釈をして
なんかの対応を変えてくれる、とする。
でもそういう意味じゃないのに、という場合がある。
むしろそんなことしてくれない方がよかった、と。
そこに必要なのはコミュニケーションだと思う。
読んだ人が、
「ああ書いていたけどきっとこの件のことをこう思っているんだ」
と解釈して
何らかの対応をしてくれるにしても
実はわたしは全然別の件について書いていた可能性もあるのである。
そこで、わたしも、
もしかしてわたしがああ書いたことを気にさせてしまったのかな
と思い、どうして確認してくれなかったんだろう、とモヤモヤする。
まあこれはどの時点かでどちらかが
この件についてこういう解釈で合ってる?的なことを尋ねたら
モヤモヤの道は終わるのである。
だってこれらはすべて妄想かもしれない。
またあるとき
何かの話し合いをしていて
こっちは全然責めているつもりがないのに
やたら弁解とそれに伴うマウンティングが返ってくる気がする。
なんでこの人はこんなに言い訳をして軽い敵意まで向けてくるんだろう?
そんな意味じゃないよ、
と伝えるかどうかは
これも相手による。
相手がその話を聞いてくれる余裕がありそうか
勝手に苦しめ、と冷たく思ってしまうような関係ではないか
酷いよね、わかってるけど
誤解を解かないと今後の業務や関係に支障が出るか
そんなような条件がある。
家族だってそう。
どういう意味でそれを言ったのか
たとえば、、、
今週末は友達と出かけるわ、という言葉は
だから家に居ないけど心配しないでね、なのか
何か気に入らないから距離を置くということなのか、
ただの報告なのか。
でも、例えばそう夫が言って、
産後まもない妻がとにかくしんどい時期なのだとしたら、
妻にしてみたら
家族のことはどうでもよくて自分の楽しみだけ優先します
に聞こえる可能性は高い。
呑気な夫は、産後の辛さなんてわからないのかもしれない。
どうせ家に居ても戦力にならないしいてくれなくていいけど
どうしてそんなことが言えるんだ?
と妻の心はグルグルし、そう言えたらマシなのかもしれないけど、
黙る、を選んだら、そりゃあ産後の離婚も増えるだろうと思う。
話したところで冷静に聴いてくれる夫とも限らないし。
あくまでも例です
またあるときは
ヤフー知恵袋みたいな誰かの書き込みに
Androidの更新で勝手に仕様が変わるので使いづらい、どうして更新などあるのか?
とあったのだけど
その返信に
更新は必要なことでそれについていけないあなたが年を取ったということ
のようなことが書いてあって
きっとこの質問者はそんなことを聞きたいのではなく
できるだけ元の仕様に戻す方法が知りたいだけなのではないかと思った。
そして回答した人はきっと
年上のそういう人のことが嫌いなんだろうな、と思った。
仕事とか、親とか、なんかあったんだろうな。
だから、
何を言いたいかというと、
発信した方の意図が受け手にそのまま伝わるということはほぼなくて
基本的に多かれ少なかれ誤解がある。
言葉の選択を間違えたり足りなかったり定義が違ったり
その人の経験や状況などの背景によって解釈も変わる。
そして、
そのズレを小さくしたり解消したりするには
コミュニケーションが必要である。
でも、
コミュニケーションを取るという選択をするかは、
自分がその相手とわかりあうことを求めているか、
相手に受け皿はありそうか、
っていうところによるかな~、と思う。
相手との関係を大切に思うほど
コミュニケーションに費やすエネルギーは大きくすることができる。
あえて言わない、というのも、大切にする方法な場合もあるだろうけどね。
それに、何から何まで伝えてわかり合う必要もない。
ここで言っているのは、
誤解があるために何か困りごとがあるときの話。
コミュニケーションによって大切な人を傷つけたくはない
そう思うからわたしは
あれ?と思うときは聞くようにしたいし
そういう意味じゃないというときには追加で説明したい。
でも、それを誰にでも適用するということもない。
放置してよいこともあるし
わかり合おうとするエネルギーが無駄になる関係もある。
冷たい、かもしれないけど、
わかりあいたいと思っていない人を
わかり合うために引きずり出すのも乱暴だと思うのだ。
そっと離れるのも優しさの一種だと思う。
