しんどそうな人には、(自分の経験から)

精神的に参ってる人に

あなたならどんな言葉をかけますか?

そもそも言葉をかけますか?

 

わたしは過去に結構こじらせていたので

ウツになって数年棒に振ったし

胸痛で心療内科に回されたこともあるし

電車に乗ったり何かの列に並んだりすると

わけのわからない恐怖感から倒れそうになることがあった。

ちょっと出かけたら数日寝込んでいたし

フラッシュバックするきっかけがあると泣きだすこともある。

ちょっとの音や光でイライラするし

においにも敏感で吐きそうになる
苦手なにおいがあって
だからわざと強いにおいのボディソープとか使って麻痺させてた

当然人混みに行くと異常に疲れる

生理前には必ず希死念慮が襲ってくる時期もあった。

本当に自分で扱うのにも面倒くさい人だった。

 

今は

きれいさっぱり無くなったとまでは言えないけど

そんなに困るようなことはない。

ちょっとおかしいなって思う時点で

対応するからかもしれない。
おかしくなってあっちに行っちゃっても、こっちに戻ってくる方法を知った
いつも調子がいい、わけではない。

困るのは人並みに動けない自分を責めてしまうことくらい

 

と、まあ、

そんなわたしが

言われて嫌だったことってあるから

しんどそうな人には言わないって決めてることがある。

 

それは

今ある症状や感じていることを
おかしなことだと言うこと。
大丈夫?って聞くこと。
早く良くなりますようにと言うこと。

 

自分に降りかかっている状態を

変だねとか不思議だねとか謎だねとか

言われるのは泣きたくなる。

自分にとってはおかしくなんかなくて、

本当にそうとしか感じられないのだもの。

なんか変だってことくらいわかっている。

快ではないけれど、そういう症状が出ていることは事実で

自分でも戸惑っているし焦っている。
そうは見えないかもしれないけど

それをプロでもない他者目線でどう見えるか教えてくれることに

一体何の意味があるだろう。

異常とかおかしいとか不思議だとか。

うるさいよ(;´∀`)と思ってしまう。
余裕ないからね。

 

大丈夫?って聞かれるのも困る。

大丈夫かどうか自分でもわからなくてとっても不安なのに。

大丈夫って答えるしかないけど。

大丈夫そうに見えないんだなってさらに不安になる。 

しかも、大丈夫じゃないって言ったとて

この人には助けてもらえる気がしない、という。

大丈夫なんかじゃない、と思っているさ。

3人目の出産数時間後に
過呼吸になって倒れたんだけど
あれは何回も何回も助産師さんに「大丈夫ですか?」って連発されて
不安が大爆発したんだと思う。
トイレに歩いていくだけだったのに。

動けますか?大丈夫ですか?車椅子持ってきますか?って聞きすぎ。
わたしそんなに何がヤバそうなの?

途中で呼吸がおかしくなっちゃって視界が白くなった。
そうなる要素を自分が持ってるせいなんだけどさー。

 

早く良くなりますように、も最悪だ。

良くなりたい。

でも

今この自分が辛くて

苦しいのは今で

きっといつか良くなるのかもしれないけど
それまでどうやって耐え忍ぼう
こんな時間があとどれくらい続くのだろうと

それが辛いのに。

早く良くなりますように、と未来の一点にピントを合わせて

なんか祈ってくれてるけど

特殊な力でもある方が祈ってくれてるならまだしも

今苦しんでいる自分は置いてきぼり。

そして今調子が悪いことは全否定、良くないこと、な感じ。

そもそもこいつは辛い人を見ている自身が辛いから
こっちに良くなれと言ってるんじゃないのか?
とまで思ってしまう。

いや、言ってる方はそんな意味じゃないんだとは思いますよ。
元気になってほしいって思うだけですよね。
どうでもいい人にならそんなことも思わないでしょうし。

でもそれを不調の人が解釈するとおかしくなるんです。

あれしろ、これしろ、あれを食べろ、このサプリ飲め、みたいなのも困る。

そんなん軽くできてたらやってるし、

そもそもエネルギーが落ちているところに押し売りみたいな圧。

それって本当に親切なのか?

自分のことも手に余るのに、元気な人の自己満足の受け皿やんなきゃいけないの?

実際調子が悪いとそこまで明晰に思いを自覚できないけど

良くなった今思い返すと

モヤモヤしたのを言語化するならそんなような感じだと思う。

わかってます、性格悪い(;・∀・)

 

最悪の最悪は「いつ働けるようになるの?」ってウツのときに聞かれたことだけど

それはよっぽど酷いケースなんだと思う。
でもよく聞く話でもある。

言った本人は忘れているけど、わたしはおそらくこれから先もその人には親しみを感じられない。

こいつ人を何だと思っているんだ。
いや、言い換えるなら、そういう価値観の方だったんですね、か。
念のため書いておくけど、言ったのは夫ではありません

 

これはわたしが思ったことだから

誰でもそうってわけでもないし

正しいわけでもない。

それに、わたしの中でも絶不調なときのわたしだ。

 

わたしが大切だと思うのは

今その人がしんどいっていう状態を

それはそれで今はそうなんだって

在っていいものとして受け入れること。

たとえ共感はできなくても
不調の症状として調べれば、ああこれに当てはまる、とはなるけど
そんなんなるかねぇ?みたいに思うのが一般的じゃないかな

あなたはそうなんだねって置くこと。

辛さを和らげることができたらいいけど

辛さを否定しない。

 

おかしくもないし

辛くて当然だし

できればこんな状況経験したくないけど

経験してしまうことが悪でもない

力になれることがあればしようと思う

あなたがどうであっても

変わらずにそこにいる

そんなふうに在ろうとする。

わたしのやり方は、そう。

 

誰かが辛いとき

どういう対応をするかって

その人の経験値によって全然違うよなぁと

思うことがあって。

それで今日はこんな話。

他者の気持ちなんてそうそうわからないけど。

弱っているときに

考えなしにいろいろされるみたいなのは

逆に傷ついてしまう。

弱っている植物に肥料ドパーンみたいなこと。

あなたを思ってしてあげてるのに系。

やめてくれ…。何かしたいからとりあえず動くとか、自己満足…。

何もしてくれないって怒るタイプの人もいるから
何度も言いますがわたしのやり方が正しいのではないんですよ。

自分が辛いときに沁みる優しさって

いろいろ乗り越えてきた人の優しさ。

誤解されがちなところもあるけど

本当に優しくて

そうなるのは経験なんだろうな。

 

でも本当にどれが正しいってことはなくて

合う、合わない、なのではないか。

波長が合う人がそばに居たらいいのかなって思う。

違うときは違うって優しく伝える余裕があったらいいのだけど

弱っている人にはそんな余裕もないから。

 

 

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