すべては自分を守ろうとしてくれていた

前回ちょっと重い記事を書いたのだけれども。

小さいころからこんなことやあんなことがあって

っていうのは多かれ少なかれ誰しもにある。

けれど、わたしはわりと大変だったらしい。

そう思ったのは、ある人に話を聞いてもらったときだった。

初対面なのにわたしのいろいろを見抜き

誰にも言っていなかった話まで引き出された。
性的虐待の話だった

そして

世界大戦を生き抜いてきたみたいですよ、のようなことを言われたのだ。

え、みんなこんなもんじゃないですか?

いやいやいや笑

そうして施術をしてくれた。

あれもかなりしんどかった。

しんどすぎて、そこへは一度しか行っていない。
一度の負荷が大きすぎた

でも、変化の大きなきっかけになったことは間違いない。
周りにもおすすめした。

 

わたしがそこで得たコペルニクス的転回は

 

自分の症状や行動は

自分の心、魂、を守るために自分が一生懸命してくれていたものだった

 

ということ。

胸を固めてしまって動きが悪いのも。

誰に見られても恥ずかしくない生き方をしようとしてきた
だからこそ周りの評価に振り回されることも。

もうなんかうまくいってないようなことでも。

それは

過酷な環境で自分を守ろうとしてきたから。

 

この苦しみは自分の敵でしかないと思っていたけれど

無意識の自分が必死に守ってくれていただけだった。

たとえば心を閉ざさないでずっと朗らかぶって生きていたら

わたしの心は壊れていただろう。

攻撃的な相手に我慢できずに反撃をしたなら

もっと危険な目に合うだろうからグッと我慢したのだろう。

なんど強く我慢をして胸を固めてきたのだろう。

愛されて育った実感がないから
実際そうかどうかでなくそう感じたってこと

そして経済的自立をして早く家を出たかったから

自分で自分の価値を感じられる勉強を頑張って確実に職を得ようとしたのだろう。

見た目をディスられることに疲れて

最初から自分は可愛くも美しくもないし整えることは無駄だと思うことにしたのだろう。

正直な思いを伝えれば殴られたり喧嘩になったり陰口を言われるなら、もう言うのやめよう。

全部に理由がある。

それも、超絶不器用だけど、自分を守るために。

わたしは、わたしがもう嫌な思いをしないように、してあげたかったんだ。

もうちょっとマシな方法思いつかなかったわけ?ってツッコミたい

 

レッスンでも

痛みは悪いものじゃなくてお知らせなんですよ

って伝えている。

わたし頑張ってますけどしんどくてそろそろ無理ですよ、やり方を変えてくださいね

っていうお知らせ。

守ってくれてるんですよ、味方ですよ、って。

 

それと同じで。

何か辛いときって

誰かや何かが悪いってことはあるけど

それに対応してる自分の対応方法で辛いんだよ。

 

たとえば接するたびにいつも嫌な感じのあの人。
居ないなら想像上でお願いします

本当に悪意とか敵意があってやってるのかもしれないよ。

だから悪いのはその人ね。

そうだとしても

それにどれだけのダメージを受けるかは自分次第なの。

たとえばその人のことを何度も何度も思い出して考えて具合が悪くなってくる。

お酒飲んで忘れる人もいれば、愚痴って発散する人もいるのにね。あとは真っ向勝負するとか。

何度も思い出すのは、そういう人に対して警戒しておけば傷つけられない、と思ってるのかも。

次回会ったときには回避できるようにシミュレーションしてるのかもしれない。

思い出して具合が悪くなるために、思い出しているわけじゃないのよ。

何度も思い出してしまう自分がイヤ、かもしれないけど、

実は、

すごく不器用で未熟なんだけど、一応守ってくれようとしてそうなっちゃってる。

身体もそうで、いくら意思で死のうとしても
身体は何とかして生かそうとしてくれる。
自分の意思で傷つけて血を流しても、身体の無意識の自分は持てる能力をつかって止血しようとする。

最後の最後まで味方だと思いませんか。
そこまでするにはきっと生きる意味があるんだなって思う。
頭ではわからなくても、社会的にどうとかじゃなくても、生きてさえいればいいんだろうな。
そう思えるようになって、自分なんて生きてる価値がない、とは思わなくなった。
すごく嫌いな人についても同様。

 

そういう苦しみから抜けるには方法があって

これはわたしの持論だけど

まずは記憶と感情を切り離す

それから考え方を修正する。

不器用な、無意識の自分と仲良くしたいじゃない。

どんなことがあっても健気に守ってくれる自分なんだもの。

 

それについては次回。

うさぎ、って言うけど、蛾の触覚に見えちゃう

 

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