晩御飯を食べながら
ニュースで見た事故の話になる。
「俺が今事故に遭って救出されるのを待っている状態だったら飯食える?」
と、夫に聞かれる。
うーん。現実味がなくて食べられるかもしれない。
病気で痩せ細っていくみたいに、見ていたらしんどいかもしれないけど、
ある日突然いなくなって帰ってこないなら、信じられなくて、
お腹は空くかもしれない。食べなきゃその後の対応もできないしさ。
「じゃあ、逆の立場だったら、あなたがそんな状態でも、よっしゃ寿司食いに行こう!でもいいわけ?」
うん。むしろその方が良いんじゃないかなぁ。
自分が居なくなったことで苦しんだり悲しんだりしてほしくない。
仮にもしわたしが助からなかったとしても、逆の立場でも、
そりゃあ残されたほうは苦しかったり寂しかったり悲しかったり
一時的にはどうしようもない感情になるにはなるだろうけど、
でもずーっとそうしていてほしくない。
自分のせいでそんな辛い思いをしてほしくない。
最後は悲しい別れ方かもしれないけど
出会って一緒に過ごすことを選んだ以上
そこにはもう離婚なり死別なり最後には別れることは決まっていて
それでも一緒に生きることを選んだのだから。
最後に必ず別れることはわかっているのに、
別れたらそのまま辛いまま、なんて絶対辛いって決定でしょ、そんなの嫌じゃない?
それでも出会ってたくさん楽しいこともあって良かったこともあって
そっちを見てほしい。
別れて悲しいから全部悲しい、なんて嫌だ。
別の話だけどさ、
別れた相手のことを悪く言う人もいるけどさ
それは別れ方が酷かったかもしれないけど
楽しいときもあったと思うのね。
最後が酷かったせいで相手を酷いヤツ呼ばわりして
それまでの良かったことも全部黒く塗ってしまって
自分だけ悲しんだり傷ついたりしてるの
アホかって思うわ。
同じような感じでさ
先祖の供養をしないと先祖に祟られるとか
そんなのないと思うんだよね。
子孫たちが楽しく生きていてくれりゃあいいじゃない。
なんか、自分のことばっかり大事だって思ってたら、
子孫が大切に供養してくれないとか、
別れた男が最悪だったとか、
わたしが死ぬときに夫に悲しんでほしいとか思うのかもしれないけど。
どうかしてると思う。
まあとにかく、
好きだからこそ、相手には辛い思いをしてほしくないし
別れが辛いからって最初から離れていたら一緒に過ごす幸せもないし
いつか別れる時が来ても
そのときはしばらく悲しんでもいいけど
一緒に居て楽しかったり嬉しかったりしたことの方を見てほしい。
出会ったせいで大切な人を苦しめるなんて、そんなのおかしいから。
わたしは、
大切な人が自分から離れていく、ということが怖かった。
それは子どもの頃のいろいろの影響があるとは思う。
居てくれるはず、愛してくれるはずの人が、居なくなるという世界。
怖かったけれど、だからといって一人を選ぶこともできず。
子どもが生まれてからは
命を守らなきゃいけないことが怖くて。
事故に遭うんじゃないか?病気をするんじゃないか?さらわれるんじゃないか?
自分だって、子どもたちを残して何かあったらどうしよう?
子どもたちに寂しい思いをさせてしまっても、自分にはどうにもできない恐怖。
これがかつてのパニック発作に拍車をかけることに。
一番酷いときは発作が怖すぎてベッドから1週間くらい動けなかったことがある
ちょっと頭がおかしいことはわかっている。
だけど、
何が起こるかわからないけれど、
それでもその悲しみや辛さに留まることはしないようにしよう
と決めてから
かなりラクになったのです。
どうでもいいわけじゃないんだ。
本当はすごく怖いんだと思う。
だからわたしは、もし夫に先に死なれたら、猫を飼おうと決めているのだ。
わたしは猫が好きだけど夫は猫アレルギー。
大好きだから、
相手と離れる日が来ても暗くなりたくないし、なってほしくない。
寂しい思いもあっていいけど
ずっとそのままじゃなくて
寂しさもひっくるめて
出会えてよかった
生まれてきてよかった
そう思える方が幸せ。
「なんか哲学的だね!うほほほ!」
、、、真面目に答えてやってんのにさー。
「じゃあ俺、あなたがそうなったら、寿司食うわ!タコ、タコ、タコ!」
わたしは生タコアレルギー。
よく言いますけどね
これを読む人が、同じじゃなくても、いいですからね。
いろんな形があっていいんですよ、愛のかたちだって。
どう思うか、どう感じるかも自由だし、
だれかに強制するものでも
これが正しいと押し付けるものでもなく
それで自分は何を選ぶんだい?っていうだけのこと。
最善って人それぞれすぎる。