人によって考え方や
感覚や怒るポイントや気にするポイントが違う
っていうのは
話では聞くことだけど
実際に心からそう思えていなかったと思うんです。
それは、今となって思う。
全然わかってなかった、って。
今は、前よりもずっと、
確かにそう思ってる。
思うっていうより、
そうだよね、そういう理だよね、って。
どうしてそういうふうに変化したのか
っていう話が今回。
それはですね、
自分が変わったから、
です。
過去のわたしと
今のわたし。
考え方がかなり違うんです。
たとえば、誰かから嫌なことを言われたとする。
そうしたら、
過去のわたしは、言われたことのショックに泣き、
相手のことを悪く思い、心の中で悪口を言い、
何日も何日も引きずった。
下手したら機嫌の悪さを表に出して公害レベルだったかもしれない。
今のわたしは
そんな言い方するなんてその人にどんな辛いことがあったんだろうねぇ
あるいは
機嫌が悪くて八つ当たりかな
または
最近気温差が激しいから自律神経疲れちゃって調子悪いのかな
なーんて思う。
言われたこと自体はやっぱり嬉しくないけど
その言葉そのものを受け取る必要はないし
その言葉にくっついてきた相手のトゲトゲがイヤなんだよなぁ
などと思う。
うんうん、イヤだったね、じゃあ自分の機嫌取ろう。
珈琲でもいれようか。
本屋でも行こうか。
これだけ違うんです。
どうして変わったかというのは、
やっぱりボディワークを学んできて少しずつ自分の中で革命が起こっていった
っていうのがある。
まあそれはともかく
自分の中で
まるで別人のような経験があるんです。
そのときはそうとしか捉えられない
そうとしか考えられなかった。
でも今は、全然違う捉え方、考え方が、
まるで別のアプリをダウンロードしたかのようにできる。
過去の自分の記憶もありながら。
そうそう、うつのときに死ぬことしか考えられない人の状態も
わたしにはよくわかる。当人だったんだから。
でも今はもう、そのときとは違う。わかるけど、今それと同じには、なれない。
自分のなかでこれなんだから
自分と他者なんて違って当然だろう。
みんな、それぞれに別々の素質、環境、経験なんかがあるのだから。
だからね、、、
わたしはこう思ったから絶対こうなんです!とか
わたしがこう感じたからにはそれが真実なんです!とか
そんなこと言ってる怒りんぼって
自分の中で成長した実感がないんだろうなって
そんなことを思います。
自分とは違う相手とのコミュニケーションでも
違いがあるっていうことはわかるけれど、
それは言葉で確かめ合って
頭で理解することなんだよね。
でも、
もっと本当にどうしようもなく違うんだっていうのは
自分の中で起こる違いじゃないかなって。
まるで別人みたいに変わるもんだなって、
自分自身が違いを経験していたら、
理屈抜きにもう感覚で腑に落ちるでしょう。
そうしたらね、
自分と違う意見や考えの人がいてもいいし、
思ってもいないところで怒ったり悲しんだりする人がいることも仕方がないと思えるし、
許せることと許せないことだって人によって違う、
できることとできないことも違う、
って心から納得できて、
そうしたら人に優しくなれるよね。
それもありだね、って。
自分にも、まあいっか、って優しくなれるよね。
知らないことを知って、見える世界が変わって
捉え方や考え方が変わる。
でも自分の知ってることなんてまだまだ世界のすべてなんかじゃないから
自分だってこれからどんなふうに変わるかわからない。
長くて100年やそこらの人生で知り尽くすこともない。
だから自分は完全だなんてことはないし
いつでも途中。
みんなも同じく途中。
どんな道をどこまで進んでいるかも人それぞれ。
違わないわけがない。
そして誰のどれが正しいなんてこともない。
だから
みんなそれぞれ違う
を前提に生活して
不都合が起きそうなときはコミュニケーションをとって調節してさ。
わかってもらえないとか
思い通りにならないなんて当たり前です。
当たり前なんだから、
そんなに問題でもないよね。
他者のことをあれこれ思い煩う暇があるのなら
自分を成長させていくこと
それをしていたらいいんだと思う。
自分に言うわ笑
あとね、
この考え方の利点のもうひとつは
嫌な相手も今はこうだけどいつか変わるかもしれない
って思えるところだね。
一旦何かあると「あの人はこういう人」ってレッテル貼って
嫌いになっちゃいがちだけど
今はそうなんだね、いつか変わるのかもね
って思えると
、、、少し目の奥が優しくなる感じがしませんか。
ゆるむ感覚わかるかしら
だから他者に優しくして自分が緩むってことはさ、
結局自分に優しいんだよね
いやこれも自分に言うわ~
じゃあどうしたら自分を成長させられるんだよ、って?
これまでの記事でもずっと書いてきてますけどねー、
ボディワーク、したらどうかな?
ひとつの方法です。
簡単に短時間でできる、みたいなものではありません。
誰かに与えてもらって受け取るだけ、でもありません。
一度のレッスンで、ハッとすることもあるけれど
うわぁ内面まで変わったかも、と思えるのは、おそらく年単位で続けたときです。
しかもそのことに氣付けるかどうかもわからない。
だから、続けることは、誰にでもできるものじゃないんだろうと思う。
なんだこれ意味ないじゃん、と思う人もきっと少なくないと思う。
それでも。
わかる人には、こ、こんなものがこの世にあったのか…って思えるのです。
そのセンサーがない人には、いくら伝えても伝わらないんだ。
最近わかった。これは、多くの人には伝わらないんだ。万人向けじゃないんだ。
でも、わかる人たちと、楽しみたい。
こんなに自分というものを使った遊びなんてあるだろうか。