同じ世界なのに
人によって見えているものは全然違う
というのが前回の話。
それが、正しいとか間違っているとか言うのは
全く意味がない。
だって、違うレイヤーの話をしているのだもの。
そのレイヤー、層、のイメージって、
上も下もない。
層、なんだけど、
スマホカメラのフィルターみたいな感じの方がわかりやすいかも。
白黒に見えている人
セピアがかっている人
コントラスト強め
青み強め
全員の目が大きくなる設定
人が全部うさぎに見える
みたいに。
それはもう、うさぎフィルターならうさぎにしか見えないわけで。
ただ、カメラのフィルターなら
現実世界は違うってことを承知のうえで使っているのだけど
脳のフィルターだとそういう意識がある人は少ないと思う。
「わたしの見ている世界がすべて」
「わたしの感じ方見え方が正しい」
になりがち。
こういう態度取るってことはそうでしょ、とか。
ああいう言いかたされて嫌だった、あの人は悪意がある、とか。
こうして当然なのにしてくれなかった、とか。
でも、
わたし、の世界ではそうだけど、
相手の世界ではそうだとは限らない。
たとえば友達のズボンのチャックが開いていたら?
ねえ、チャック開いてるよ!と言ったら、
なんで他の人にも聞こえるように言うわけ?って思われるかもしれない。
じゃあ、コソッと教えたら、
そんな恥ずかしいことでもないんだから堂々と言ってよ、って思われるかもしれない。
恥ずかしいだろうから知らんぷりしてあげたら?
なんで教えてくれなかったの、と思われるかもしれない。
でも、どれも、その人なりの優しさではある。
もちろん、ありがとう!!ってなることもある。
それはたまたま、してあげたことと相手のニーズが一致したなら。
たとえニーズとちょっとずれてしまっても
どういう思いでそうしてくれたのか
っていうところを受け取ることができたなら
せめて想像することができたなら
自分のしてほしかったこととは全然違っても
文句にはならないはずだ。
食事に誘っても乗り気じゃないあの人も
あなたのことが嫌いなんじゃなくて
ちょっとお疲れ気味なだけかもしれない。
チャックや食事じゃなくたってさ、
何気ない一言、なんかでもね。
なんでそんな言い方するの、
って思うこと、あるとしたら。
その人の言動の後ろに
その人の思いがあるということ
それを意識すると
意識しないよりは心穏やかになると思う。
あんなこと言われてわたしはこう思って嫌だった、
というのは自分の中の反応でしかない。
それが出てくるのは生き物として仕方ないけれど
いや待てよ、だけど、
相手はわたしにこのような思いをさせることが目的だったろうか?
と一呼吸おけるか。
それが人間の脳を持つ者ができることなんじゃないか。
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でもね
それでもどうしても
理解不能だなっていうケースはある。
その違う層の存在を
否定せず
そこに置くことができると
もっとラクになる。
それは次回。