会話に求めるもの

わたしって男なんだわ。

 

男は論理的に解決策を求める

女は感情を聞いてほしいだけ

なんてよく聞くような話。

 

それで言うならわたしの脳は

男なんだろうと思ったのだ。

 

ただただ喋っているだけなんて非生産的だろう?

結局それってどうなのよ。

 

という人もいれば

 

ただ受け止めてほしい

がんばったねって言ってほしい

それでいいんだよって言ってほしい

みたいな人もいる。

ていうか黙ってとにかく聞いて的な

 

どっちが正しいとかは無いと思う。

好みもあるし

話題にもよる。

普段の会話なのか

ちょっと重い相談事なのか。

ここでは「普段の会話」のはなしね。

 

ただね

普段の会話の中身って

これまた人によると思うのよ。

  

当たり障りのない話しかしないときもあるし

人間関係の悩みを語り出す人もいる。

天気の話かもしれない。

調子が悪いって話から

悩みがあるって話に繋がるかもしれない。

今日あったことを話していたら

上司の悪口になっているかもしれない。

 

この人と話してもいつも当たり障りのないことしか言わなくてつまらない

と思うかもしれないし

ただ聞いてくれるから好き

と思うかもしれない。

説教臭いからイヤ

かもしれないし

いつも新しい視点をくれる

かもしれない。

 

わたしはたぶんわりと深掘り方面に会話を進めることが好きなんだと思う。

 

もうずいぶん前だけど

こんなことがあった。

あんなにあなたの話を聞いてあげたのに
あなたはわたしの話を聞いてくれなかった

と怒られてしまったのだ。

青天の霹靂だった。

だって

わたしは

この人っていつもうんうん聞いているだけで役に立ちそうなことをひとつも言わない
きっと適当に流しているんだろうな

って思って

その人が悩みを話したときには

相手の話は遮らなかったし

どうしたらもっとラクになるか考えて

じゃあこうしてみたら?

なんて言ってしまっていた。

それが逆鱗に触れたのである~。

でもこれって完全に

好みとか求めるものなどという前提が違っていたのよね。

すれ違い。

会話ってこういうものでしょ

聴くってこういうことでしょ

が、

ことごとく逆方向。

 

さすがに

あんただっていつも黙って聞いていただけだったくせに!

と言える雰囲気ではなかった。

ただわかったのは

黙って聞いて、くれて、いたということ。

したくないことを無理してくれてたんだな。

それがその人の優しさで

でも、聞いてあげたのに、ってことは

したくないのにしてくれた

ということ。

そんなことなら、聞いてくれなくてよかったのにな。

わたしはどれだけの時間を奪ったことになってしまったのだろう。

しかもそれに対して不満だったのに…

時間をおいて何度か謝っても許してもらえなかったのでそれっきりである。

たぶん他にも腹の立つ件でもあったのだと思う。

言わなきゃわかんないよな。

そして、聞かないとな。

お互い、ズレてた。

まあ、そういうタイミング、運命だったんだろう。

頭を下げて説明してまで修復する氣にはならなかった。

だって、ただただ聞いてほしい人と仲良くなれるだろうか。

ギクシャクしたときに怒ってるだけで話もできない。

そんなの、相手が誰でもいいじゃないか。

良い悪いではなくて、向いてない、ってやつ。

違いがあってもいいけれど

コミュニケーションを拒否したり

話し合おうと前向きになれなくなったら

その関係は終わると思う。

コミュニケーションってめんどくさいから。

そんな労力かけて一緒にいたいか。

わたしはそう思ってもらえなかったのだろうし

わたしもエネルギーを傾けたいと思わなくなった。

そうして人間関係は適切に更新されていくのだと思う。

残念な氣もするけど

仕方がない。

 

わたしは

話を深掘りしていろんな考え方を出してくれる人と話すのが好きだ。

そして、自分の場合はね、って教えてくれる人。

わくわくする。

でも

ただ聞いて受け止めてほしいだけの人もいるのはわかる。

これはもう

合わない人とはそれで不都合のない距離感を保ち

合う人と仲を深めたらいいのだ。

という結論にわたしは至った。

 

そんなことがあったから

相手がどういう会話を求めるタイプなのか

わりと氣をつけて感じるようにはしている。

 

わたしはちょっと変なのだ。

たとえば

上司の悪口になったときに

どうしてそう思うの?とか

それってなんかそう捉えるきっかけでもあったの?

本当はどうだったらいいのにって思う?

なんて聞いちゃうのだ。

紐解いていくのが楽しい。

あれ?そういえばなんでなんだろ?ってなる人もいるし

でも

そんなの求めてなくてただ吐き出したいだけの人もいるわけで。

がんばったねあなたは悪くないよって言ってほしいだけの人もいるわけで。

うんうん、わかってる、だから相手を間違えちゃいけない

 

それと

その人の話していることは

お互いに別に強制するわけではなく

その人の一意見である

という前提のある人と話すととても安心する。

押し付けとか説教臭いとかなんか苦しいとか

わたしも相手から感じてしまうときがある。

頭のいい(とわたしが感じる)人と話していると特に思う。

でもそういうとき、思うんだ、

受け手が勝手に、

そうあるべきって押し付けられたって感じるだけなんだ。

わたしが卑屈になってるだけなんだろうなって。

自分の思いや考えがしっかりあれば

相手と自分の考えを並列に同時に存在させることができるし

ギュウギュウのがんじがらめじゃなくてアソビを作ることができるけれど

自分に弱さがあるとき

なんだか否定されて押し倒されて追いやられたような圧し潰されそうな氣分になる。

確かにべきべき人間もいるけどそれは聞き流して無視したらよい

その人なりの確信をもって語っているだけで

万人に当てはまる共通の「べき」ではないと思う。

~と思うけど別に相手にもそうしろなんて意味じゃない。

そういうこと。

へぇ、そういう考え方もあるんだね

と別角度の視点が生まれる楽しさ。

そんなふうに語り合える自由があること。

 

誰にも優しいような掴みどころのない嘘みたいなこと言ってたら

嫌われないのかもしれない。

いつもなめらかで、まろやかで。

でも、そんな人、つまらない。

素でやってるならいいけど。それは魅力だけど。

ただ聞いてほしいっていうのも

弱々しく見せかけて、黙って聞けという圧なような。

わたしの感覚だと

お互いに好きなように話せる自由がある方が

圧が無くて好きなんだけどなー。

でも人によってははっきりと意見言われることが圧なんだろうし。

うん、どっちでも良いと思う。

揚げもの嫌いって言ってる人に

美味しいトンカツ屋さん紹介するのは違うもの。

どんなに美味しいところでも。

なんでこの美味しさがわからんかね?と思っても

嫌いなものは、嫌い。

 

でも、食わず嫌いももったいないから

ときどき、好みじゃない方も練習する。

ひったすら聞いてるのって、子どもの話かも。
でもときどき知的な難しい話をしたいんだよ。

というわたしの好みのせいか
息子はちょっと話すと疲れるくらいに難しい話をするように育っている。。。

そうか、今は難しい話はしたくないってとき、あるある。

これもただの一意見であり好み

 

だから、夫婦の会話あるあるで

ただ聞いてほしいときは

夫に「今はただ聞いてほしいんだ」と伝えてから話すという技があるわけよね。

わたしは、もっと深く話したいけど!
( ´
)

簡単なことなんだよね

感情吐き出させてほしいとか

あなただったらどうするか教えてほしいとか

もっとわかりやすく伝え合えたら

変に我慢して爆発もしないのに。

それを伝えることすら

ごちゃごちゃ考えて二の足踏んでさ。

 

近所にこんなところがある。すてきな夕暮れ

 

ああ、誰かと話したいな。

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