怒ってもいい。だってお知らせだもん

怒っちゃいけない

って思うことはあると思うんです。

思わない方もいらっしゃるでしょうが。

 

子育てしていたり

仕事をしていたりすると

ハァァァ?いい加減にしろよコルァ!

ってなることは、ある。

そういう言葉ではないとは思いますが。

 

怒っちゃいけない。

 

この、怒っちゃいけないっていうのは

「怒りをぶつけちゃいけない」

だと思うんです。

つまり

心の中で怒っちゃう分には仕方がないしそれでいい。

 

怒りってなんだろう?

わかってほしい

自分をもっと大切に扱ってほしい

そういうことなんじゃないか。

 

それが怒りの求める先なら

怒りをぶつけたら

逆効果だと思うのよね。

 

自分にとって不満な状況って

多かれ少なかれ心身の危険っていうことであって

その状況を回避するために交感神経バリバリになって

何とかしろ!なんでもいいから何とかしろ!

ってとにかく行動しろモードなんだろうね。

怒れば相手も怯んでくれるかもしれないしさ。

だから、その単純せっかちおじさんみたいな、自分の中の人に乗っ取られたら

怒り爆発

ちゅどーーーん

になっちゃうんだろうね。

単純せっかちおじさんは寄生虫のようにわたしの中に住んでいて

宿主を守ろうとしてくれて
そう、怒りは敵ではない

どんくさいわたしでも危険な状況にすぐさま行動できるよう

怒るための物質を出してくれる。

怒りのパワーは絶大だからね。

役に立つ状況もあるんだろうけど

日ごろの人間関係におけるイライラに対して発動するのは

強力すぎてあんまり得策じゃないように思う。

 

だから

怒りを感じたら

今脳内の物質がわたしに怒りを感じさせている

と思うようにしてる。

そしてその場はやり過ごしてから

まだモヤモヤするようだったら

わたしはどうしてほしい、どうしたかったんだろうなぁ

って考える。

じゃあ、そのために何ができるんだろう、って。

 

相手と話ができるような関係や状況だったら

ざけんじゃねーよ!って単純せっかちおじさんが吐き出そうとするのを

もうちょっとマイルドな言葉に変換する。

それは嫌だ~、とか

わたしが感じているっていうだけの話なんだけどさ~、
こう思うんだよね~、
実際のところあなたはどういう思いだったの?とか。

聞いてみたら、なるほど、全然怒ることなかったわ、となることも多い。

視点や前提が違うとね。

ああ、だからそうしたんだね、って。

相手の意図を聞いて納得。

 

怒りを

言動の理性的な転換ポイントにする。

 

でもこれをするには

自分が求めているのは

怒りを吐き出してスッキリしたいわけではなく

相手と良好な関係でありたい

または

自分はこうしてほしいと思っている

みたいなことを自覚していることが

必要なのかなって思うよ。

怒れば言うこと聞いてもらえる

っていうのはあるかもしれないけど。

でもさ、そんなふうに相手に恐怖やら威圧感やらを与えて

言うこと聞いてもらっても

なーんか、寂しいよね。

人として寂しいよ。

個人的な思いとしてね。

 

だから

コミュニケーションって

伝え方の技術とかアンガーマネジメントとかあるけど

まずは

自分で自分のことを観察して

思いに心を傾けて

自分が自分のきもちをいちばん聞いてあげなきゃいけない。

そうわたしは思う。

 

ボディワークのレッスンでお伝えするのは

痛みはお知らせですよってことなんだけど

肉体にとっては痛みで

心にとっては怒りや恐怖なんかかもね。

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