わたし、怒ってたんだなー!
って、散歩しながら思った。
何年か前のあのことも、
いい人のふりしてとか
これ以上ゴタゴタしたくないからとかで
「それでいいよ」って言ったこと。
ほんとは、イヤだったんだな、すごく。
我慢、したんだな。
あのときわたしは
本当の不満を言わなかった。
伝える必要はなかったと今でも思うけど
自分の中でまで無いことにしたから
結局その感情について何の処理もされなくて
燻ってたんだ。
家のこともそう。
別に怒ることでもないし
怒ってやってもらうのはイヤだし
そうやって目を瞑っている数々。
小さなこと。
食器下げろとかゴミ散らかすなとか。
夫とも。
仕方ないよな
感覚が違うんだし
って納得させた風で
ほんとは押さえつけただけで
プルプル震えているかも。
白黒つけたいわけじゃないけど
ただ放置して目を逸らすかんじ。
そして
共通するのは
なんでわたしばっかり
ってやつ。
それが続いてなんか体調まで悪くなってくる。
でも知ってる。
わたしばっかり
は、大抵勘違い。
勘違いとか頼まれてもいないとか。
とにかく
そこかしこに感情が埋められてるってことに
氣付くことができてよかった。
そうかそうか、
イヤだったよね
って自分が受け止める。
理屈とかなんとかは置いておいて
とにかくイヤはイヤだったんだもの。
よくあるでしょ、
子どもが「こわい」って言ったときに
大人が「怖くない怖くないっ」と返すやつ。
怖がらなくていいよ、の意味なんだけど、
でも、こわいと思っちゃうことはあっていいよね。
この会話だけだと
怖いと思ったことまで否定される感があるかもしれない。
こわいよね、って立ち止まったり
そばにいてあげるから大丈夫だよ、って言ったり
やめておこうか?でもいいし
そういうの
自分自身にも丁寧にした方がいいときもある。
ひどい時なんてさ
「これおいしくない」って言ってるのに
「美味しいよ!食べなさい!」なんて。い
いやいやいや、その子にとっておいしくないのは事実 笑
もう何もしたくなくて
朝からとりあえず下駄履いて散歩に出たの。
歩くっていいよね。
わたしはまた、
自分の取り扱いを間違えたらしい。
なかなか乗りこなせない、40年以上経ってるのにー。