自己肯定感と、変わりたいきもちについて

もっと自分のことを好きになりたい

という人は居ると思う。

自己肯定感

という言葉も別に珍しくもない。

自分はこれでいいのだと思いたい。
バカボンのパパ
バカボンの語源もいろいろ言われていますよね
サンスクリットだとか
ただのバカのボンボンだとか

「だから変わりたい」

なら、それは違うのかもしれないよ、というのが今回の話。

  

だって、だから変わりたい、ってことは、

もうその時点で、自分じゃダメだって思ってるもの。

もっと美人だったら?

もっとお金持ちだったら?

もっと上手にアレができたら?

もっと〇〇だったら?

もっと自己肯定感をもてる自分だったら?
あれれ?

 

今の、その自分を、どうして愛せないの?

完璧な人なんていないのに。

だから、それでもいいよって思えたらいいのに。

どうして、否定するの?

どうして、受け入れられないの?

それは、もっとできるはず、っていう期待なの?

それとも、できない自分を虐めているの?

嫌だと思っている点、全部変えたら、自分のこと、大好きになれそう?

 

違う自分になろうとして

それができたら好きになれる

じゃなくて。

だってそんなの

もっとこうだったら好きだよなんて

今いる自分が言われたら下向いちゃうよね。

他人にそんなこと言う?

なんで自分にはそんな酷いこと言えるの?

そもそもさ、

いつからそんなふうに思うようになったんだろうね。

こんな自分じゃダメだ

なんて嘆く3歳児なんて見たことないでしょ?

うちの娘もそう、好きな服着て、髪もかわいくして、
鏡の前でポーズとってる。
わたしもそんな時期があったはずなのに
いつから自分の容姿が好きじゃないって思うようになったんだろう。

 

今いる自分、過去に一生懸命生きてきた自分、を

まるっとそこに居ていいよって思えるようになる

そんな心と体になること。

もちろんこれから伸びしろはあるでしょう。

できないことも、欠点も短所も、あるでしょう。

でも、できることも、魅力も特技も長所もあるし。

今の時点はこれはこれでいいよ。

 

それが

自己肯定感

じゃないかな。

あるがままを見る。

あるがままを見られないのは

、、、比較。かな。

あとは、自分じゃなくて他人目線を優先すること。

そうして本音を隠すどころか見失うこと。

うまく選んだようで、ただ逃げただけだとか。
一見美しいもっともらしい理由を掲げて。

もっとシンプルでしょうもないと思うんだよ。

人の欲求って。

人に言っても褒められるようなものじゃないんじゃないか。

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