カルマヨガ、人のため、自分のため??


カルマヨガ、ということでボランティア活動をすることが必須のところがある。

ヨガインストラクターの資格を取るために。

 

カルマ、とは、業、行為、というふうに訳されている。

自業自得、の『業』。

カルマの法則、は、自業自得ってこと。
自業自得って悪いことが返ってくる意味合いが多いけど、良いこともです。

カルマヨガ、とは、行為のヨガ。

ネットで調べてみると、見返りを期待せず自分に与えられた役割を全うする、みたいなことが書かれている。

資格のためにボランティアって完全に見返り期待してない?

 

良い悪いにこだわらず、目の前のことをする、というのがわたしの理解。

だからこれは、日々の仕事もそうだし、家事も育児も、全部そう。

するべきことをする。

結果については手放す、執着しない。

 

 

カルマヨガの話を聞いたときに、

どうしても腑に落ちないことがあって。

超作、って言葉があるんです。

本山博先生の。

超作っていうのは、わたしの理解の範囲内でいうと、

自分を無くして人のために一生懸命になる、

ってこと。

一心不乱にそのことをする。

 

自分を無くして、っていうのがいまだに腑に落ちない。

 

自分のことはさておいて人のためと思って働きづつけた結果、

わたしは思い切り病んだわけだから。

 

それは結局、

自分も損なわれたし、

家族をはじめ周りにも迷惑をかける結果になった。

 

で、ヨガ哲学の師は言うわけです、

オレがビールを飲むのは機嫌よくあるためだ、それは人のためにもなる、と。

自分のためにするのも人のためだと。

一方で本山先生の超作について話しているのに~。何度か質問したのだけど、わからない。
師は今やヨガ哲学ユーチューバーです。レッスンが懐かしい。。。

 

その上、ある他の人は言うわけです、

自分自身を大切にしないで人のためにばかり働く人は病気になる、と。
信憑性はわかりません、わたしには。
でも少なくともわたしは病んだ。

 

わたしだって、

自分さえ良ければオッケー!いえーい!

とは思っていない。

自分のため、人のため、のバランスが難しいと、日々思っている。

人のためを考えていたら疲れる、

自分のことばかりを考えていたくもない。

夫のためとか、子どものためとかさ。
ときどき親とか、友人とか、学校の先生とか、子どもの友達とか、道ですれ違う人とかも登場する。

 

ここ数日でわたしが辿り着いた考えは、

人と自分との境目がなくなれば、誰のためになんて天秤にかけなくてもいいのかも。

人のために何かをすることが我慢に繋がるのは、自分が未熟だから。

今の自分の成熟度に合わせてできる範囲でやるのが良い。

というものです。

 

ヨガの目的は調和だと、師は言う。

本当に調和したなら、人のためにすることが、純粋に自分の喜びになるのだろう。そんなきがする。しかしそれは本山先生レベルだ。

今のわたしのレベルでは、

人のためばかりにやっていると、自分がないがしろになって、

譲ってあげた感や、我慢した感がある。

まるで自分の一部を切り取ってあげましたみたいな。

アンパンマンみたいに。
この感覚、未熟だからなんだと思うのよ。

それで、疲れたり、イライラしたり、精神的にも肉体的にももたない。

 

他人と自分の区別をなくすのだったら、

他人と同じくらい自分を大切にするのはアリだ。

それこそ、ビールが好きならビールを飲んで、

それで他人に優しくなれるなら、それでいい。

わたしは、、

本読んで、日向ぼっこして、忙しく働きすぎず、ときどき人の役に立つと幸せ。

そうして余裕があると人に優しくなれるし、助けを求められたら手を差し伸べることだってできる。

、、、人の役に立つことが幸せ?

サロンのシゴト、人の役に立つこと。ああ。

サロンのシゴトで人の役に立っても、わたし、削がれた感じはない。

もちろん何件もブッ続けるとゲッソリするけど。
だからそういうのはやめた。

これかなぁ。

自分のできることで、お役目を果たしていくって。

無理とか我慢とかじゃなくてさ~。

アンパンマンって、顔をあげても、してあげた感ないよね、あの人。
あの人じゃなくてあのパン?
まあ力が出ないとかは言うけど、それが誰のせいとか思ってないよね。

 

だってね、

自分だってひとつの大切な一部なんだもの。

それをなかったことにしてって、

例えば、肝臓が他の全身のために働き続けてぶっ壊れたら、

結局全滅の道になっちゃうでしょう。

自分なんていいですぅ~、って蔑ろにしてるけど、

でもその自分は、自分だけのものじゃない。

だから自分のケアってやっぱり人のためなんじゃない?

もっとわかりやすく言うとさ、

お母さんだからってボロボロになってまで耐えて、

おかしくなっちゃったら、それって誰が幸せなのかね?

修行しまくって精神レベルがすごいことになってるなら、
そもそも人のために働いてボロボロにはならないと思うの。

消耗するっていうのは、「尽くしてる感」がさせるものなんじゃないかな。
同じことをするにも、意識次第で疲れ方が変わる、消耗度が変わる。
そして、われわれは一般人だからね。

ちょっとややこしい話かもしれないけど、

自分って自分のものじゃなくて、

自分は自分担当ってだけなんじゃない?

わかるかな(´Д`)

 

テキストのコピーはできません。