夫婦関係から学んだ世界の見方

どういう歴史背景があって

どういう考え方や感覚があって

何を信じていて

何を大切にしていて

何が許しがたいことで

他にどんな事情があって

どういう視点でどういう観点で

その言動を選んだのだろう。

きっと見ているだけの側には知らない事情もあって

だから相手と自分は違うし

自分がスタンダードなんてことは絶対にない。

そういうことは夫婦関係の中で痛いほど学んできた。

 

ああ、だからそうするんだね、だからそう思うんだね、

というのは、

相手を知ろうとしないと辿り着けない。

そして逆に自分を理解してもらうには、

説明することができないといけない。

それをせずにただ自分基準で裁いても、

だれも幸せにはならない。

 

数年前からの世界の動きはダイナミックにもほどがある。

でもその動きのもとって、

人の頭の中なんじゃないかとずっと思っている。

何かを知らないだけならまだしも

知られないように隠されていたり

事実ではないのに事実のように知らされていたり

それを大多数が信じたというだけで真実のようになり

誰かから見た善悪を裁く。

 

浅すぎやしないか。

浅すぎることを見越して利用されていないか

 

こうあるべきだとか

こうしてはならないとか

 

外野がやいのやいの言うことではないし

正義ぶって割り込んでいくのが果たして本当に正義なのか。
夫婦げんかにいきなり他人がどっちかの味方になって入ったって、おまえに何がわかる!って話ですよ。

始める人は確信犯としてやっていて、
それに大多数がなだれ込んでいくことで流れができていく

 

何かを断定できるほど

自分たちは何を知っているだろう。

どこのどんな情報をもとに考えているだろう。

その情報の出どころは?どんな立場でどこからお金をもらって発信している?

 

しかも勝手にやっていればいいのに

みんなもそうしなさいという流れになっていく。

 

まあ世界的なことで言えば

お金の流れを見ることが一番わかりやすい

現代の戦争は争いというよりももっと別の仕組まれた何かでは

 

 

戦争も

感染症も

夫婦関係も

どんな大きさの関係であっても

拡大図と縮図。

 

大人になったらもっと自分でいろんなことがどうにかできるんだと思っていた。

大人になって、いろいろ調べられるようになると、

大人たちのやってることって、なんてしょーもないんだと、

もちろん素晴らしいこともあるけど

なんと表現したらいいのかわからないきもち。

 

流れは止められない。

でも、流れに乗らないことは選べる。

その中で自分の生き方を貫くことはできる。

  

何とかは使いよう。

与えられた肉体と命を、

わたしは何に使いたいだろう。

期間限定で与えられた肉体と命で

あなたは何をしたいですか。

 

世界でどんなに感染症が流行ろうと

世界のどこかで戦争が起ころうと

自分は今楽しいことをすることができる。

自分がここで深刻になっても世界が救えるわけでもない。

苦しむ人が、悲しむ人が、ひとりでも減ったらいいと思う。

何も悪くないのに巻き込まれてしまう人のことを考えると胸が痛い。

でも、今のわたしには何もできないのなら、

せめて自分と、自分のすぐそばの人が幸せであるために。

遠くの国で怖い思いや痛い思いをする子どもがいることを想像して苦しくなるなら、

目の前にいる我が子を抱きしめて、少なくともこの子は今大丈夫だと、

そうするしかないと、わたしは思う。

一緒に苦しんでも、幸せの明かりがひとつ消えてしまうだけだ。

だから、

むしろ楽しんでいた方がマシではないでしょうか。

さて、音楽でも聴きながら皿洗いするか。。。
皿洗いは好きじゃないけど汚れているのはもっとイヤ~

幸せは、自分の足元からですよ。

地に足ついてない自信あるわ。ちょっとなんかワークしよ。

 

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