子どもに失敗させること


コアラのマーチの靴下。

キャンドゥで買いました。

かわいいもの好きの末っ子ちゃん。

明日保育園に履いていく~!

はさみどこ~?

 

いつも、お洋服などのタグを取るときに自分ではさみで切ってはいけないと言っている。

間違って穴を開けたら困るからね、って。

穴を開けずに切るコツも毎回教えているし、、

毎回言っているから大丈夫、、、

、、、じゃなかったーー!

 

しっかりと穴を開けました。

 

ショックのあまり悶えている末娘5歳。

もじもじもじもじ。

 

ほらー、もう、だから言ってるじゃない。

 

と、思わず言いつつも。

もう充分ショックを受けている様子を見て、

叱る必要も感じられず。

こういうときに怒るのは、

大人がショックを受けたことを発散するって意味だと思う。

それじゃあ何の役にも立たない。むしろ余計なトラウマ作るよね。

  

失敗すると穴が開くってわかったでしょ。

これで次からはもう失敗しないね。

次はまた一緒に切ろう。

今日は時間がないけど、明日か明後日にはチクチクして直してあげるよ。

でも悲しかったね。

 

と言うと、もじもじちゃんも少し落ち着いて涙目で頷く。

まあ、あれですね、本人からゆっくり聞くような状態じゃなかったですね、悶絶してて。そういうときって、感情を言葉にしてあげると、うわーんってなってから落ち着く氣がする。嫌だったのかい、とか、怒ったんだね、とか、寂しかったの?とか。

 

それを見ていた長女も、

切っちゃったのー?

って言うけれど、

 

でも失敗しておくっていう経験は大事だと思うよ、

いつも失敗しないように守ってあげてると、

自分でやらなきゃならなくなったときにできないし、

失敗から立ち直る経験もできない。

って言うと、

そうだねぇ、と。

ずっとそうやって長女にも接してきたので
最初からではない。長女の時代は、努力的でしたな笑

失敗したときの声掛けも、

「うん、まあ、次きをつけよう!」

と前向き(*’▽’)

 

失敗しない人生なんてない。
失敗っていうか、思い通りにならないってこと。

どんなに注意警告されていても、

自分でやらかしてやっとわかることもある。

 

それはわたしがよくわかってること。

 

この先きっといろんなことがある。

この子のそばに ずっとついてはいられない。

親がいなくてもできるだけ幸せに生きられる強さを。

失敗しないことではなく、

何があっても対応できるしなやかさを。

それでも壁はあるだろう。

泣いて落ち込む日もあるだろう。

靴下の穴どころじゃない、ショックなことにも出会うだろう。

だから、伝えられることはできるだけ、伝えていく。

失敗を避けさせることばかりが愛ではない。

失敗を避けさせ続ける、

嫌な思いを避けさせ続ける、

それは、

愛というより、

虐待かもしれない。

傷つく子どもを見たくない、自分も傷つきたくない、親の自己満足。

 

失敗したら直せばいい。

責めてもどうしようもない。失敗はすでに過去。

次にどうできるか考えたらいい。

 

そんなふうに子どもに接すると、

親が失敗しても大らかな子どもに救われます。笑

 

そして何より、

自分が失敗したときに、

自分自身に掛ける言葉が変わる。

それがどれだけ人生をラクにすることか。

すぐ怒っちゃう人、自身にも責めるタイプじゃない?
他者に怒っても、自分に怒っても、結論として、結果は変わらない上に きぶん良くない。

手放せばいいのにねー、ちゃんとしなきゃ、いつでもできて当たり前、っていうの。

自分が変わらないと、子どもへの声掛けなんて変わらないよね。

わたしも学びの途中、旅の途中。

だから子育て講座とか胡散臭いと思う。
子どもにどう声をかけるか、それはマニュアルを学ぶことじゃないはずだ。

子どもだった頃の自分がしてもらいたかったこと。

してもらって嬉しかったこと。

それを、自分にも、我が子にも、するだけのこと。

毎度毎度辿り着く結論、結局は自分、ですね。

 

ピッタリの色の糸がなくて、ちょっと変だけど、直しました。

糸が足に当たらないように、外側に糸を出す母のやさしさであることよ。
自分で言う~~。

 

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