足裏からの情報と脳の働きについて


散歩をしていて思う。

舗装された道路や平らな床を歩くことが日常であること。

 

平らではないところを歩くときに、

いつもと脳の使い方が違うなと思う。

例えば公園の中。

今 足の裏から何を感じるだろう。と思いながら歩いてみる。

 

地面の柔らかさ。

たぶん土はいつもより湿っている。

大小さまざまな、でこぼこ。

ときどき石のような硬さのもの。

細長いもの、丸いもの。

いろいろなものを意識的に感じることもできるけれど、

脳では、転ばないで歩くことができるように、

かなりの情報を得て処理しているはず。

これはもう、わたしには何が起こっているのかわからない。

何が起こっているのか意識の上ではわからない、っていうこの範囲を、

わたしが学んでいるワークは変えていくやつ、なんだろうな。

 

裸足で歩く民族や、

草鞋や草履や下駄で歩く人、

靴の種類、

どんな靴を履いてきたかという履歴、

どんな地面で主に生活してきたか。

足裏からの情報を読み取ることが、

地域や時代や人やなんかで全然違う。

それなら、

カラダも違うだろうし、

脳も違うだろう。

なにしろ今わたしが、

アスファルトではない道を歩くだけでも、

いつもと脳の働きが違うと感じている。

山道を歩くなんてことになったら、

もっと足からの情報に注意を向けるだろう。

 

まだ歩き始めたばかりの、よその子どもを見る。

その子は舗装された道を歩いている。

よちよち歩いては、尻もちをつく。

歩き始めの子どもって、結構尻もちつくよなぁ。

前から突っ込む転び方より。

大人ってどうだろう。

歩き初めの子どもにとって、地面が平らであることと、デコボコであることって、何か違うんだろうか。

どっちも未知だから、変わらないんだろうか。

 

少なくとも我々大人は、

歩きやすい、という道路を歩くことが日常であることで、

使われなくなった脳ってあるんじゃないだろうか。

脳の使用率というか。

それが、

カラダへの注意の向け方の率、にも関係あるんじゃないだろうか。

逆に、日頃デコボコ道を歩く人が、舗装された道路を歩くとき、脳はどうなるんだろう?
未開の地から急に都会にやってきた人とか。そんなケースがあるか知らんけど。

でも平らな道路・床、であることだって、

平らであるという情報は入るわけで、情報ゼロではない。

慣れている、馴染みがある、それが続くと、、、ってこと?

それなら、変化を与えることが重要になってくる。

馴染みのない動き。コンフォートゾーンの外。。。

馴染みのない場所を歩くって、ボディワークみたいなもんかもよ。

でもただ歩くだけじゃあ、所詮自分のコンフォートゾーンの中でしか動きを選択できない。

 

そんなことを考える、秋の散歩。

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