わかってちゃんだった。


ちょっと前までのわたしは

自分のきもちをわかってほしい

自分は傷ついたけれど相手が本当は何を思っていたのか確かめたい

思いを伝え合うことができたら解決できる

という感じのことを持っていた。

思っていた、じゃないです、持っていた、です。

 

でもね、

そういうの、なくなった。

 

わたしは、

わかってほしい人だった。

自分のことばっかりだった。

そういうことに氣がついた。

なんで氣がついたかっていうと、

逆の立場になったからだな。

逆の立場から見たとき、

こちらには傷つける氣なんて微塵もなくて、

でもこちらが未熟だったがために傷つけてしまっただろうことはわかっていて、

それを言われたら謝るしかなくて。

そのことについていろいろ言われたら、

わたしの心が痛んだ。

申し訳なかった。

ごめんねしか言いようがない。

そしてわたしにできることはそれ以上はなくて、

相手が自身で癒してくれることを願うしかない。

 

そのとき思ったのだ。

わたしは、こういうことを、大切な人にしてきたのか。

例えば、

わたしはあんなに傷ついた、

わたしはあんなに嫌だった、

そう母親に伝えたことがある。

ただ謝られるだけだった。

それはそうだ。

言えたわたしはすっきりしたかもしれない。

だけどわたしは、そのときの母のきもちなんて、

考えていなかった。

 

大切に思っていたのに大切にできなかったことを、

大切に思っている本人から、

あなたのせいで傷ついたなんて言われたら、

どれだけ心が痛むことだろう。

 

わたしには想像力が足りなかった。

相手のことを思うきもちが足りなかった。

自分のことばかりでそんな余裕がなかった。

 

自分が愛されていたのだと信じることができたなら、

あんなことはわざわざ言わなくてもよかったのだ。

自分がそう信じられないから、

わざわざ外に確かめる。

いや、愛されているとどこかでわかっているからこそ、

甘えていることもある。

本当に愛がなかったと思っているのなら、わたしは傷ついたなんて言えるはずもない。

言葉が、形が、欲しくて確かめる。

弱かったのは自分だった。

嫌だって言っていいんだ、でも言うならその時すぐにだ。

 

わたしは大切に思われていたし、

たとえ大切に思われなくてもわたしはわたしだし、

結局全部自分の中のことだった。

誰かのせいで、あいつのせいで、そうじゃないんだ。

そう思うことで、相手を責めるという新たな苦しみも産んでいる。

もうそんなふうに苦しまなくていい。

相手は単なるきっかけに過ぎない。

苦しみは、

自分の中のことだった。

 

そのことに氣がついてから、

グダグダと悩むことがなくなっていると思う。

生活全般。

そういえばあんまり悩んでない、考え込んでない、と。

 

起こることに、ダイレクトに繋がっていないというか、

自分が透明で丈夫なシャボン玉の中にいて、起こることは全部その外側というか、

それでいて自分というものがしっかりしているようで、

でもいわゆる我が強いとかそういう意味のしっかりではなく、

妙な感覚です。

 

何かや誰かや出来事を見ても、

今までとは違った考えや感覚がよりはっきりと出てくる。

 

頭がおかしくなったのかなぁと、ときどき思います。

 

いろんなことがどうでもいいんです。

こうして書くブログだって、

全く思いが伝わらないこともあって、

相手が勘違いしちゃうこともあるし、

でもそれをいちいち訂正しようとも思わない。

前はイヤだった。

でも、いいんです、すべてそれで、いいんです。

伝わらないのも、勘違いも、イヤだったのも、

いいんです。

すべて、そこに置いておいていい。

だって、あるんだから。

好きとか嫌いとかイヤとかムカつくとかそれこそどーでもいい。

それさえもあってよくて、ただそれを元に何かを、特に他人を、コントロールする必要はない。

 

 

出来事や経験は、人生のレッスンだなぁ。

出会う人、起こること。

すべての出来事に、有難うなんだなぁ。

たか先生の言う通り、無駄な出来事なんて一つもない。

本当に、すべてはシナリオなのかもしれない。

わたしは、ヨガ哲学を学んでから、

頭の表面には入ったけれど本当に落とし込まれてはいなくて、

カラダを整える方からアプローチをすることで、

ひとつずつ、ときどきドサッと、落とし込まれていってる。

奥深い。面白い。

わたしはいろいろと学ぶことが好きだ。

学校の勉強もわりと好きだった。

先日は息子の数学の難問(わたしにとって)を解いてとても嬉しかった。ワークの、発展問題のラストあたりの捻ったやつ。

ヨガ哲学、

人生かけて学べるなんて、なんて壮大な。

しかも机上の空論とか、何の役に立つかもわからないとか、

そういうのではなく、

実践、実践、めっちゃ役に立つ。

テキストのコピーはできません。