働かざる者食うべからずの意味って何なの?


なんでお金として稼がないと役に立ってない感があるんだ?

わからない。。。

誰に食わせてもらってるんだ、

働かざる者食うべからず、

そんな言葉に引っ掛かりを感じた、

という話が前回。

働かざる者食うべからずという言葉がほぼ主婦みたいなわたしには辛い件

 

そもそもどこから出てきた言葉なのか?

気になって、

働かざる者食うべからずってどこから出てきたん?

っていうのを調べてみた。

テサロニケの信徒への手紙二(テサロニケのしんとへのてがみに)は新約聖書正典中のいわゆるパウロ書簡に含まれる一書で、使徒であるパウロがテサロニケの信徒たちに宛てた書簡の一つである。

(中略)

本来の主題は誤った終末論に惑わされることなく、落ち着いて日常の労働に励むことの大切さを説くことにあったのだが、後にはそこから離れ、中世の終末論や反キリスト像の発展に大きく影響した文書であるとともに、共産主義と親和的なスローガン「働かざる者食うべからず」に結びつくこととなった文書でもある。
(中略)
日々の労働の大切さを説いた言葉「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(口語訳)はキリスト教の労働観に影響を及ぼしただけでなく、20世紀にはレーニンによる改変を経て、「働かざる者食うべからず」という不労所得による搾取を否定するスローガンとしてソ連などの共産主義諸国の憲法にも盛り込まれた。これが日本国憲法の勤労の義務に繋がったという説もある。(Wikiより引用)

 

キリスト教のパウロさんが、世界の終わりとか言ってないで日々働きなさい、って言っていたのが、

ソ連に持っていかれると、資本主義で不労所得を得て搾取する人を否定しちゃうやつに変化。

それが日本の勤労の義務にも繋がってます。

っていうお話かな?

 

もしかして、なんか良いように使われちゃったやつ?

 

ここからはわたしの個人的偏りですけどね、
嫌だったらスルー推奨

今の日本には、勤労の義務と納税の義務があるわけ。
そのために教育で洗脳する

わたしは、これこそ搾取だと思ってるわけ。

税金自体は一見、搾取に思えないですよ。

でもね、その税金の流れる先を見たら、

なんか同じようなところに流れて行ってるのよ。

オリンピックなんか見ててもそう。
感染症対策とか気候変動とか人権がどうとかもそう。
わざわざイベントや問題を作り出してはお金を流す。
それが分配されてはいない。なんでまたこの会社出てくるん?ってなる。
そこのトップは誰?動かしているのは誰?協力しているのは誰?
って考えると、
またここ出てきた!みたいになる。
日本もう終わってんなと思う。ハァ。
自分たちで仕組み作って自分たちで儲けてやがる。
↑言葉遣いよ。。

それこそ、

働かざる者食うべからずじゃないか?

 

日々生活するためにお金を稼いで生きて行かなきゃいけないけど、

そこからかなりの部分税金で取られて、

もちろん税金のおかげで便利さも享受しているけれど、
だから騙されたように良いようにされる

そんなところ以上にガッツリもらってる人もいて、
他の会社にも回したっていいじゃんそんな仕事

じゃあ納税とか勤労の義務ってそもそも何なのよ?

勤労って何?勤労がないと税金も取れない。誰のためなん?

そもそもの仕組みがおかしいんじゃないか?

じゃあキミも不労所得入るように努力したまえ、

っていうふうにこの仕組みを利用させてもらう方法もあるさ。

でもそれで世の中幸せなんだろうか?

自分さえよければ、の世界が広がるだけじゃないか。

 

また、Wikiには、

日本国憲法の勤労の義務は、マッカーサー草案や内閣の草案で勤労の権利しか盛り込まれていなかった条項に、衆議院での審議の際に日本社会党の提案によって加筆されたものである

とも書かれていて、

わたしはどこの政党がいいとかないけど、

勤労の義務、働かざる者食うべからず、って、

役に立たないなら食わずに死ねって言ってるんじゃなくて、

働かないで搾取するのはダメだからね、

って意味で取ることもできるんだなぁ。

 

いや知りませんよ、わたしは詳しくないですからね、
正式な解釈があるのかもしれませんよ

 

結局どういう意味なのか

もともとに立ち返ろう。

世界の終わりだなんて言ってないで、勤労にいそしみなさい。

日々のことやらないと生活ままならないでしょう?

ってことだったんじゃないか。

3章10節には「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」(口語訳)という一節があり、これは後のキリスト教徒の職業観・労働観に広く影響したものであるとともに、「働かざる者食うべからず」という表現が広く知られる元となった。

ここで書かれている「働こうとしない者」つまり「怠惰な」者とは、あくまでも「正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、働くことを拒み、それを日常の態度としている」者と解される。つまり、病気や障害によって働きたくても働けない人や非自発的失業者を切り捨てるような文言ではない。
(Wiki)

だったらですよ。

生活に必要なこと

稼ぐこと、家事、子育て、してたら充分じゃない?

しかもこの引用で言うと、

『働く意志をもたず、働くことを拒み、それを日常の態度としている』

相当どうしようもない人っていうか、

周りと協力する氣ゼロな人ってことでしょう。

 

ましてや、不労所得でウハウハでもない。

もっと勤労にいそしまなきゃ、って焦りにも近いきもちもあったけど、

でもその勤労によってウハウハしちゃう人がいる仕組みもあって、

それこそ食うべからず的な人が働かずして食うことにも繋がる。

何じゃそりゃ。

 

いや、わたし、何を今まで気にしていたんだろう。

末っ子のお弁当の、パンダおにぎりのリクエストにも応える良き母じゃないか。

わたしが氣にする必要全くない言葉だったわ。

 

わたしが納得した結論

じゃあ、わたしが聞かされてきた『働かざる者食うべからず』って、

要するに、

「こちらのニーズに応えてくれなかったらごはん抜きよ」

みたいな、しょーもない要求だったわけじゃないですか?

ソ連の憲法で利用したらちょっと意味が変わったみたいに。

食い扶持稼がないと食う権利無し、でもなくて。
お金と食べ物って直接的だもんね、このご時世。自分で生産するんでなければ。

良いように利用されたキャッチコピーみたいなもんじゃないですか。

薄々わかってはいたけど腑に落ちた。

 

今与えられたことをする。

それが、何もしないこと、っていう時期もある。
わたしにはあった。休むこと、が与えられた義務みたいなとき。

家族のためにできることがあるなら、する。

自分のためにできることがあるなら、する。

生きるために、生活のために、そりゃただ黙っていたら生きていけない。

掃除もしなきゃならん、

食事の用意もしなきゃならん、

お金が必要なら稼がねばならん、

ただそれだけなんだなぁ。

そこに、お金というモノサシは関係ない。

 

末っ子ちゃんなんて、なんも働かなくたって、

好きなメニューをリクエストして、

詰めてもらって、おいしかったーって食べてくる。

そしてわたしはそれが嬉しい。

過去の子どもだったわたしは、

そういう愛がないんですか親なのに?わたしが何か役に立たないと食べさせてもらえない、そこには愛なんてない

って傷ついたんだろうなぁ。

どういうつもりでその人が言ったにしろ。

ただの

「こちらのニーズに応えてくれなかったらごはん抜きよ」

みたいな、しょーもない要求だったにしろ。

わたしが、そう捉えてしまったから、そうなったという。

でも、ただのしょーもない要求でした。

 

さあ、

あのときのキレた父の「誰が食わしてやってると思ってるんだ」や

誰かの言った「働かざる者食うべからず」の音声を、

「言うこと聞いてくれなかったらごはん抜きよ!」に差し替えて、

記憶を再生してみよう。

わー、アホらしい。

 

はい、トラウマひとつ消えた。
トラウマとは、出来事と感情との結びつき。
勝手に意味付けして傷ついてる場合がある。

 

ヨガとボディワークのレッスンでは

トラウマにアプローチすることもありますよ。
「はっ(‘Д’)」とする質問をするらしいです、わたし。
そこから絡まりを紐解いていきます。
何も教えないし強制しません。自分自身で氣づいていくんです。
自分から出てくる真実です^^

 

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