伝える者として思うこと


ストレスがたまるとグリーンカレーを食べる。

20代半ばはしょっちゅうグリーンカレーを食べていた。

からーいやつ。
日頃は辛いカレーは苦手です

今もこれを書きながら食べている。
食べながらかいっ

昨日は大きなイベントがあった。

〇年ぶり〇度目みたいな。
甲子園か

本当に消耗した。

あまりに腹が立って一個モノ壊した。
生理前にイライラしたり死にたくなるほど落ち込んだりするのと重なり。
ヨギ?非暴力??いやダメでした、わたしもまだまだです。
おかげでひとつ断捨離できたと思うことにします。

そんな日が明けた今日ですが、

最近思うこと。

 

日常生活って実践の場だ。

だからその人の中身は日常に表れる。

 

 

ヨガでも他の何かでも、

流派とかグループってある。

わたしはそんなにこだわりがない。

あっちのグループの人だからダメとか思わない。

あちこち参加したからって浮気だとも思わない。

それぞれに真実はあると思うから。

そしてそれを人が考えて人が教えている以上、
ヨガ哲学は人が考えたのではない説、、、それは置いといて

完璧はないから。

いいとこ取りしたらいい。

そんなふうに思ってる。

トークセンもいいし、ヨガもいいし、ボディワークもいい。

アーサナもいいし、哲学の勉強もいいし、瞑想もいい。

日常生活でできるヨガもある。ヤマ、ニヤマ。

塩たくさん食べるのもいい、

断食してみるのもいい。

思考を掘り下げてみるのもいい。

 

ときどき

アレがダメだとか、誰がダメだとか、聞く。
わざわざ言う人は自分のやってることに自信がないのだと思う。
わざわざ、ほんと、わざわざ言う!笑

わたしの判断基準は、

それやって日常生活が良くなるのかってこと。

それやってる人がステキかということ。

ただそれだけ。

だってそれが明らかな結果、真実であり、なりたい自分でもある。

だから始めるときは、

それやってる人がステキに見えるからやる、ことが多い。

塩食べたら健康になるよ、ってツヤツヤした人が言うとか。
顔色悪い人が言っても説得力ない

ヨガやると人生変わるよ!ってキラキラした人が言うとか。
人間関係で問題起こしまくってる人が言っても説得力ない。

 

自分の感じ方・考え方というのは、

結構フィルターかかってるから、

それがあること承知で見る。

 

でも、そのあと学びや修行や経験が始まったならば、

誰が言っているから、ではない。

誰が言っているから、で判断していたら、

その人への見方が変わってしまった途端、

その世界とは繋がらなくなってしまう。

それは本質ではない。
人を見ていただけだ。

これって、テレビが言っているから、にも通ずる。
テレビが言うかどうかじゃなくて、物事の本質を見よう。

 

わたしは、

わたしを見てトークセンやヨガやボディワークに興味を持ってくれたら嬉しいけど、

でも良いかどうかは自分で感じてほしいし、

トークセンやヨガやボディワークが好きならぜひ他でも続けてほしいと思ってる。

自分を売ろうっていう氣はない。

だから、軽い気持ちではじめていいし、やめてもいいし、

他にやってる人のところ行ってもいいと思う。

気軽でいいよって思う。

みんなの日常がラクになって、楽しく生きられたら、

それでいいじゃない(*^^*)

 

一方で、

伝える者として、

修行していかねばと思う。

自分の生き方そのものが、肌つやが、表情が、周りの人間関係が、家族との関係が、、

わたしが伝えたいことの行きつく先に向かって常に走るから。

モノに当たってしまった後も、
どうして自分はこうなってしまうんだろうって、
考えましたよ。
わかると、その出来事は、もうどうでもよくなる。
前はね、ただ自分以外を責めて泣くだけだった。
昨日は泣きもしなかった。自分の何かのせいだって思った。
そして何かが何なのかわかれば消えるんだ。
変わった、これでも。

 

テキストのコピーはできません。