体験だけが本物だ


愕然として立ちすくんでいたわけです。

1か月くらい。

そんなにもコントロールされているのか。

お金や利益や責任や権力や、そんなことのために、

ニュースでさえも捻じ曲げられる、

もしくは隠蔽される。

ニュースでさえも、ではない、

そもそも最初から信頼性なんてなかった。

中立的な目で見ようとしても

どうしたっておかしいと感じる。

SNSの世界もだ。

誰がどんな発言をしたっていいはずだ。

明らかに人を傷つけるものでない限り。

嘘か本当かなんて、

会社やよその誰かが判断することじゃない。

たくさんのものから、

自分で判断したらいいだけだ。

最初からフィルターかけて偽世界を作り、

自分の頭で考えられなくなった大多数の人がそう信じてしまえば、

それが世界になってしまう。

本当か噓かじゃなく。

多数決。

そしてその集団とは違う考えをもっていたら、

批判されたり攻撃されたりするのだ。

そんなことは面倒なので、

本当か嘘かよりも、

誰が何を言っているか、

みんながどう考えるのか、

そこばかり気にするようになる。

悪循環だ。

わたしは、

子どもたちは、

こんな世界で生きていかなければならないのか。

小さなことじゃない。

生き方が制限され

健康が阻害され

モノとして扱われ。

そんなことに

自ら飛び込んでいき

自ら檻を作る。

それが今に始まったことではなく、

私が生まれる前からすでにそうで、

緻密に仕組まれたものが横たわっていて、

どっちを向いてもそういうものだらけ。

氣がつくまでは

それが当たり前だと思っていた。

でも一度氣づいてしまったら

おぞましい

という表現がピッタリな状態であると思う。

 

わたしがこれからしようとしていたこと、

SNSを使ってしようとしていたこと、

日常生活でもよくお世話になっていたところも、

大きなところはどの会社も全く信頼できないということがわかった。

国もですよ。

平気でおかしなことをやっている。

やり方が汚い。

しかもそれが大々的には批判されないのだ。
できないようになっている。

 

言うことを聞きなさいと言われれば聞く

従っただけだからそうしたことの責任は自分にないようで

周りでは投げられた責任のたらい回しと責任回避のための決まり作り

そこで働く個人が重圧感を感じ

誰かのせいにして

結局誰も責任なんて取れやしない

誰のせいって叫んでいるのが関の山

 

理路整然と述べる誰かの意見より

理屈破綻なマスコミの方を信じる人が多いのは何なんだ。

テレビが嘘をつくわけがない。

どうしてそこまで信じられる?

下手な宗教より酷い。

それはそれでいいんだけど、

どうにかうまく共生できないものだろうか。

どうして変なうねりが生じるんだろう。
そうしたい人がいるんですけどねきっと。

 

 

じゃあわたしは

これからどうやっていこう?

知らなかっただけで、前からそうだったのに、

知った途端に見える世界が変わってしまった。

 

愕然として

希望も何もない

と思った。

 

何を信じたらいいのか

もうわからない。

救ってくれそうな情報だって

本当かどうかわからない。

怪しい商法と一緒だ。

 

でも、唯一、

間違いなく信じられるものがある。

 

それは、

自分で経験したことだ。

 

どんなにオカルトなことでも、

どんなに理屈が説明できなくても、

『でもそうなんだ』

って自分で体験してしまったら、

嘘もへったくれもない。

 

例を挙げる。

わたしが絶不調なとき

仲間が

〇と〇〇〇〇〇をお風呂に入れるといいよ

と教えてくれた。

まーた、それか。

何にでもそれかけて食べるし、

それで掃除しろとかいうし、

しまいには風呂に入れろとな。

ほんと怪しい。

でも、言うことは怪しくても、

仲間のことは信頼しているので、

おとなしく言うことを聞いてみた。

するとだね。

それを入れた瞬間に、

本当に瞬間的に、

お湯の質が変わった。

もはやこれはお風呂ではない。

軽くて優しくてふんわりして、

お風呂で泣いた。
おかしいよね(´Д`)

どんなに怪しくても嘘っぽくても

こうして体験してしまったら

それは本物でしかない。

大多数の人は

そんなわけないだろー!

という事項だ。

でも、わたしには真実だ。

えー、ちなみに、塩とマルンガイです。

わたしも一応代理店なんですけど、

絶対怪しいよねって思われるのはわかってるので、

こちらからおすすめはあまりしてません。

でも、塩は、おすすめかな。

減塩はしてはなりませぬ。

しかしそこいらの塩なら減塩がよいでしょう。

マルンガイはモリンガのことですが、

これもそこいらのモリンガとは違います。

わたしも自ら人体実験中です。

悪いものが平気で食べ物に入っているご時世

避けるには限界がある。

要らないものを出せる身体にすることが重要と思う。

 

あなたが信じているその世界

その情報

どれだけ自分で体験したものですか?

自分で見たのですか?

自分で感じたのですか?

 

わたしは信念をもって地味に活動していこうと思います。

自分が経験したことをお伝えしていきます。

何となくの誰かの概念を伝えて知識にしてもらうんじゃない。

わたしが言うだけじゃなくて、ご自身でも感じられるように。

それが絶対的な真実だから。

 

ヨガでもね、

この世を体験するために生まれてくるって言いますよ。

いろいろな経験をするために。

 

 

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