学びの翌日に出会う人・大人はどうして辛いのか


郵便局に行ったら、

何歩か歩いては膝に手を当て
前かがみでしばらく休憩するおじいちゃん発見。

さすがに心配になり

「大丈夫ですか」って声を掛けたら

「大丈夫です、持病でね、休んだらすぐ良くなります」って、

笑顔で返事してくれたんだけど、、

何の病気だ、こえぇぇぇ。

でもね、声かけたら、

身体起こしてこっち向いて、笑顔で、声も出るのよ。

何の病気だ(;´Д`)

そして声かける人が居ないのも怖い。
わたしも一回通り過ぎたんだけど、用事を済ませて出てきたら
またおじいちゃん止まってるんだもの。
何かの発作なら救急車か
このまま倒れたら心臓マッサージとか
どうだったっけできるかな
あわわわわ、と思った泣

 

保育園の先生は、

去年両足捻挫したのよ~、

正座で座ってて立ち上がったら~、と言う。

やっぱりコロナになってから~。

だからー、いつでもボディワークやりますよって言ってるじゃろー!
でもコロナガー、って、コロナなってないけど両足捻挫もヤバいじゃろー!

 

みんなどうしたの。

健康って何だろう。

 

 

わたしはね、

この土日、

学びに参加して、ハードでしたけど、

今日寝込んでません。

疲労感がない。

少し強くなったな。

わたしの場合は、心が。

身体の扱いとしては、

わたしはまだこんなところに居るのか、

赤ん坊レベルからやり直しか、と思うけど、

積み上げていく土台ができていないところに健康はないな。

自分の持ってるいろいろを活かすには、土台か!
ハッ( ゚Д゚)

ステキなキラキラしたものをどれだけもっていても

繋がらなかったら使えない

ブレスレットの糸の役目をするものは、、

 

何かを付け足すその前に

自分の持ち合わせているものを点検して

メンテナンスした方がいいのかも。

もともと身体は素晴らしい造りをしている。

赤ちゃんは、筋トレしていなくても、

仰向けで脚を持ち上げたり、寝返りやハイハイをしたりできる。

大人はどうして、

よいしょ、とか、アイタタタ、ってなるのかな。

どうしてでしょうね?

どこで何を失ったのか。それとも獲得し忘れたのか。

どう思います?ねー?

 

子どもってどうして疲れないのかしら、

って思わない?

したいことをしてるから、もあるけど、

身体の使い方っていう点では、

もしかして、そういうこと?

 

もし、赤ちゃんや幼児のように動けるとしたら?
もうすでに「あれ?」って感じの赤ちゃんや幼児もいるだろうけど

 

大人が子どもに教えるって何なんだろうね。

自然であればできるはずの経験。

勝手に良かれと思ってさせてしまう経験。
それによって奪われてしまうもの。

それは大人の概念。

社会の構造。

便利とか効率とか。

それによって何故か辛いのが当たり前になる。

それに耐えるもしくは麻痺するための何か。

その連鎖。

知らないものは伝えられないから連鎖する。

 

可能性は外ではなく、自分の中にあること、

もともと持っているはず、

持たずに忘れ物してきちゃったとしても
素質はあるから学ぶことはできる。

それを探究するのが、今わたしがやっていること。

それにしても場違いなところに来ちゃったなーと
周りの人々を見回して思うのだが
すごいなーと思う人たちと勉強をさせてもらう機会を得たのなら
四の五の言わず大人しく参加しようと。。。
かっこ悪くても、わからなくても、いいじゃんっ、興味はあるっ!笑

 

 

病気や痛み。

何かがうまくいかないことから始まる。

うまくいかない、

の元をずーっと辿っていくと、

 

どこに辿り着くんでしょうね。

 

わたしは、

ふたつあると思ってます。

でも、ふたつは、絡み合ってる。

あ、現世的なのはその二つで、
それとは別に、
過去生からのカルマ、
っていうのもあるとは思う。
ヨガの考え方ですけど。

 

あなたは、どう思いますか?

どうして辛いとか病気になるとかって、あるんだろ。

正解を探すんじゃなくて、

自分はどう思うか、ね。

 

 

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