わたしは写真が嫌いだった。
いや、ポーズや顔を作らねばならない写真が嫌い。
今でも。
だからわたしが誰かの写真を撮るときには、
何も声をかけずに撮ることが多い。
自然体。
写真のために何かを作る、それは虚構だから。
写真を撮るときに、
笑えだの、歯を見せろだの、
傾けだの、寄れだの、
それは、
その人の自然体を否定していることだと思う。
わたしはね。
「笑って」で作られた嘘の笑顔を写真にまで撮られるなんて、
あんまりだと思う。
わたしは必死に楽しいことを考える。たいてい、この状況おかしいなって笑う。
そういうとき、わたしの視点は2mくらい浮いてる。
笑顔ハラスメントだよもう。
そう言う人は、何もそこまで考えていないんだと思うよ。悪気ないんだよね。
羨ましいなぁと思う。そう言う人は、笑顔をパッと作れる人だろうから。
でも、
写真を撮ることが嬉しくて、
記念に残せることが嬉しくて、
それで誰かと写ることはいいな、
と、思うようになった。
百日とか、七五三とか、そういうときの家族写真は、
いつも同じ写真屋さんにお願いする。
北海道神宮の写真室か、屯田のフォトスタジオ石井さん。
神宮の写真屋さんは面白くて、石井さんはほっこり。
もし、
その人の笑顔の写真が欲しいのだったら、
その人が笑顔になれるようにしたらいいと思う。
「笑って」で自動的に笑えるなんて、すごい。
うちの子たちなんて、
勝手に変顔してくれる。
ここまで引っかかるのも、何かわたしのトラウマなんだろうけど。
でもわたしは、
写真を撮ってあげるとしたら、
笑顔じゃなくて、
普段通りの顔が、好き。
もちろん、楽しいときの笑顔も。
うちには
一眼レフがあるんだ。
父の形見になってしまった。
孫の写真をたくさん撮りたかったんだと思う。
退院して自宅で過ごすようになった頃、
カメラなんてわからないだろうに、
いいヤツ、と言って買ってきたんだと思う。
でも、もう、そのときすでに、
カメラの重さに耐えられる筋力もなかった。
不謹慎だけど、プルプル震える腕に笑っちゃった。
そんなんじゃブレるじゃん!って笑うほかないよね。
そこで深刻な顔したら深刻すぎて。
まあ早く回復してよね、って。
そのカメラ。
年長さんだった孫は、今度中学生だよ。
少し、カメラの勉強しようかな。
人をいい顔させるような仕事もしていきたい。